「触れても、いい?」


自信なさげに、イバちゃんの顔を覗き込んで告げたその台詞に。
大きく、イバちゃんの瞳が見開かれた。
驚いているようで、今さら?と思っているようでもある。 けれど、唇がかすかに震えて、ぽろりと彼女の瞳から涙が一粒こぼれおちた。


――拒 絶 、


その瞬間、サーッと欲望が潮を引き、反射的に彼女の身体を引き剥がして背中を向けていた。

「っ、ごめん俺変なこと言った!!シャワー浴びてくる、」


――――バァン!!!!


…急いで歩き出そうとしたところで、クッションがバスルームのドアに凄まじい速さと強さで投げ叩きつけられた。
あまりの驚きに声も出ず、固まったまま冷や汗が流れる。
もちろんこんな無茶苦茶なことをしたのは誰か、なんて。恐る恐る、振り返る。

「あの…イバ、ちゃん…」

あなた一体なにして。
そう言おうとした言葉はイバちゃんを見た瞬間、ひっこんだ。ぎょっとする。

「…え…、な、なんでイバちゃんそんな大泣きしてんの…!?」
「…っ、な、いて、ない!」
「いやもう涙流れまくりだろ!なに?どーした!?」
「〜〜〜っバカッ!あんた、ホントにわかんないの…!?しかも焦るの遅すぎ、だよっ、そんなの、一番最初にやんなよバカ!」
「え!?あー…うん、ごめん。俺が変なこと聞いたからだよな。怖かっただろ?もう言わないから、」
「違うよバカ、…ほんっとうに馬鹿!…そんなの、聞かないでよ!」
「うん、だよな」
「だから違うって、言ってんでしょ!!触れてもいい?って…、なにそれ馬鹿じゃないの、 そんなの今さらじゃない―――触れたきゃ触れればいいでしょうが!!」

―――………うん?
更なる罵声が飛んでくると覚悟していたはずが、今なにか違うことを聞いた気がして、目を丸くした。
その反応も気に入らないのか、彼女は目に大粒の涙を溜めて俺を睨み付けている。 真っ赤な泣き顔で睨まれたって怖くない、むしろ可愛い。
呑気にそんなことを考えて、いやいや違う、そこではないのだと必死に考えを戻した。
今、なんて?触れたきゃ触れれば、いい…?

「……え、…はあっ!?ちょっ、イバちゃん自分が何言ってるかわかってんのか!?」
「キューこそ、なんにもわかってないでしょ! …勝手に近づいて、触れたくせに聞いて、勝手に離れてって…、全部勝手にひとりで決めないでよ! 私ひとりだけ、ドキドキしてるみたいで馬鹿みたいじゃない…っ」

感情が高ぶったのか、みるみるうちにイバちゃんの瞳から涙が溢れだす。それに俺はおろおろするしかない。
やがてイバちゃんは、しゃくりあげながら壁を見つめ、ぽつりと呟く。


「…私は、ずっとキューに触れてほしかったんだから」



――心臓が、とまるかと思った。


ぱくぱくと口を開けたり閉めたりする。
ええ…?本当に?信じられない。
それでも、やがて向けられた真剣な瞳に、冗談ではなく本気でそう思ってくれているのだと解った。途端に、力が抜ける。
ああ……なんだ。そうだったのか。ほっと息つく思いで、同時に自分の馬鹿さ加減を本気で呪う。
とっくに同じ思いだったのに、俺は自分の考えしか見てなかった。 ただ優しさをふりかざして、彼女を気遣ってるふりをして……結局は、自分が臆病だっただけだ。
もちろん大事にしたい思いも本当だった。 だけど、ほんのすこし織り交ぜられた臆病さの濃密な色を嗅ぎつけて、彼女は怒ったのだ。 どちらの思いも、彼女にしてみれば障害でしかないのだと。 付き合うと決まったその瞬間から、彼女はキスもその先も許す覚悟がとうに出来ていたに違いない。
参った。…そういう敵わない強さをイバちゃんは持ってる。「女」ゆえの強さなのだろうか。どこまでも俺より肝が座ってる。

「…さっき、気づいちゃったんだよね。全然、恋人らしいことはしてないなって」
「…うん」
「そうしたら不安になって…そこで、あんたが逃げようとするから、すごく腹が立って」
「うん」

俺は苦笑いをする。イバちゃんは正しい。ああ、まったくもってそのとおりです、杏子様。
男って情けないと改めて思う。 自分から仕掛けたくせに、その濡れたまっすぐな瞳に顔は熱くなって、目をそらしたくなる。 声も出ない…けど。

「…キュー…?」

イバちゃんのかすれた不安そうな声に、少しだけ微笑んだ。お互い緊張しているのだと解って安心する。 いま抱きしめたら、心臓の音が伝わってしまうんじゃないかとそんなことばかり気にしてしまうけれど。 でも好きで、もっとしあわせを知ってふたりで共有したいから、今夜。
再び、彼女のそばに歩き出す。 またイバちゃんの前に立って、今度はやさしく抱きしめた。 心は決まった――もうためらいはない。迷わない。
ごめん、イバちゃん。いつもいつも気づくのが遅れてごめん。泣かせといて、こんな願いも勝手すぎるけど。

「…笑って」

額に、優しくくちづける。それだけで彼女は一層真っ赤になった。 額と額をくっつけて、お互いしばし無言で見つめ合って、同時に吹き出す。

「初めて恋人らしい喧嘩したなー」
「だね」

馬鹿みたい。
そう言ってようやく笑ったイバちゃんは、



(…かわいい。もう、我慢できない)



「!キュー、冷たくない…?あ、シャワー浴びないと風邪引くんじゃあ、」
「大丈夫」
「でも」
「…イバちゃんがあっためてくれるんでしょ?」
「…!」

至近距離で妖艶に笑って見せる。そう、俺はもう獣だ、最高の獲物を前に舌舐めずり。…逃がしはしないよ、イバちゃん。覚悟して。
囁いて、柔らかくベッドを下に押し倒す。俺の下で動揺するイバちゃんは、慌ててきゅっと目を閉じた。 そっと耳に唇を寄せて舌を這わせると、イバちゃんの身体がびくんと大きく震えて小さな喘ぎ声が漏れた。 逃げようとする彼女を押さえ、くちゅ、と水音を忍ばせて入り込む。可愛い、と赤く染まった耳から直接、鼓膜を震えさせる。

「や、もう…やだ、」
「なんで?耳、弱いんだ」
「ちが…、それもある、けど!」

お願い、可愛いとか言わないで、死にそう…っ、
林檎のような顔で、耐えられないというように首を振るイバちゃんの姿は、俺の心を確実に貫く。
…びっくりしてしまう。なんでこんなに可愛いとか思えてしまえるんだろう。 死にそうなのは俺も同じ、イバちゃんと同じで何一つ安心できることなどない。 だけど触れたくて啼き声が聞きたくて喘がせたくてしょうがないこの欲望は、もう誰にも止められない。自分にだって、無理だ。
彼女の腰をきつく抱いて身体全体を強く抱きしめながら、何度もくちづける。 イバちゃんの両手が、俺の背中にすがりついた。 高校を卒業した彼女はすこし痩せて、だんだん大人の女性の身体になってゆく。体型が、とかじゃなくて、もっと違うなにか。 触れると、そんなこともわかるのだと、俺は思った。
再び耳や首筋を攻めれば、ひどく恥ずかしいのか口を手の甲で覆い声を我慢している。だけど。

「…っ…キュー…」

心が、震えた。 何度も小さく甘い声で俺を呼ぶ、その姿を愛しいと言わずなんて言うんだろう。 それは胸を締め付けるその甘美な痛みをともなう。 彼女の吐息にすら触れたらもう何もかもダメになってしまいそうで、彼女は自分を甘く脅かす凶器だと思った。
壊れ物を扱うように指先がそっと髪に触れ、それからゆっくり肩に触れ、たどってやがて手を握る。 唇は耳のそばに、目尻に、額に、鼻の頭に、頬に ――彼女の唇にたどりついて、蜜を求める蝶のように柔らかく吸いあげる。
とまらない。触れなくては、抱きしめなくてはどうにかなってしまいそうな狂おしさを、この時初めて知った。 もっと触れたい。もっとひとつに溶け合ってしまいたい。それほどに彼女のことが…。
また彼女が小さく俺の名を呼び、その一瞬で糸が切れたように激しくキスを贈る。 そうして彼女の、次第に髪も衣服も何もかも乱れていく様に興奮して。 ふたり分の荒い息を聞きながら、舌は首筋から胸へと辿り、手は妖しく胸から下へと快感を引き出して、 イバちゃんの身体はどんどん熱くなっていく。


外は今もきっと大荒れだ。だけど、なにも聞こえない。 ただこのふたりだけの世界で、激しい熱情と感じるお互いの身体と心がすべてだ。 そのすべてが、ふたりを重く静かに閉じこめる。もう離れられない。
イバちゃんがふいに笑った。泣きそうな顔をして。

「私を選んでくれて…ありがとう」

すごく、すごく、嬉しい、と微笑む、ああなんでそんな、
――そんなの、俺だって同じだ。こうやって愛し合えることことなんて、きっと奇跡なんだ。この世にたったひとつの。
もう一度、ありったけの想いをこめて抱きしめれば、彼女も同じように抱き返してくれた。 強く強く、この上なく、決して惜しむことなく。





ああ、今夜はきっと忘れられない夜になる。これからの新たなふたりが始まる。 楽園は腕の中にあって、それはまぎれもない、自分だけの愛のあかしだ。
それは、涙が出るくらいなんだか嬉しいことだった。


ねえイバちゃん、今夜。



「…イバちゃんが、ほしい」



手に入れさせてくれないか。














(すきだから)(あなたがほしい)









09.11.24.aoi

t.9円ラフォーレ

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桐谷さまのリクエストで「初夜なキューイバ」でした。
ほんとにほんっっっっとに、お待たせしましたあああああ(ジャンピング土下座)
すみませんすみません、しかもこれ長い上にラブラブ部分が短いですよね、すみません!!!! あと桐谷さまのすんばらしいネタが生かせてないですね、 雰囲気とか会話とか自分の思うようにやらせていただきました(汗)
あ、「笑って」のあたりは桐谷さまのコメントを勝手に参考にさせていただきましたorz

R12くらいですかねこれは…というかどこまでやろうか迷いました(おい)
作品へのダメ出し・書き直し受け付けますんで正直におっしゃってくださいね((゚Д゚;≡;゚д゚))
もう…まさか初夜ネタがこんなに難しいとは思いませんでしたよ…☆(涙)
とりあえずキューさんはヘタレっぷりを発揮していただいたのでそこは満足ですが、 駄作になってる気がしてしょうがない。

このあとのふたりは各自妄想お願いします。思う存分によによしてください。 あ、その妄想できたら私にも届けるように☆(…)