花咲一家の男性といえばフェミニストで有名で、「いかなる時も女にはやさしく」などというふざけているのかそうでないのかよくわからない家訓があったりする。 それは長年幼なじみをやってきた杏子にとってはもう慣れっこだし、当たり前のことだった。 おそらく商店街、いや銀河町に住む人たちにもそうだろう。
だからといって、すべてを受け入れているわけではないことを、知るべきだと杏子は常々思う。


「はい、ざるそば一丁、天ぷらうどん一丁お待ちどうさまー!」
「おいしそー!ありがとキューちゃん」
「いえいえ、こんな綺麗な女性のために打てるなんて光栄ですよ」
「やっだー、キューちゃんったら!もう立派な旦那さんなのにそんなこと言ったらだめじゃない」
「俺はすべての女性を愛してますから」
「さっすがキューちゃん、素敵ー!」


―――またやってる、としか言いようがない。そのどこまでもゆくフェミニストぶりにあっぱれ、だ。 というか、あれはいよいよただの女好きの域に達しているような気もする。
女の方も、既婚のくせしてふざけたことをほざくあんな奴のどこがいいんだろうと思う。普通引くか、女の敵として八つ裂きにする。
そんな反応が一切ないのは、一休が既婚であることを差し引いても十分魅力的に映るからだろうか。それとも、肝心の一休の妻というのが自分だからなのか。
はあ、と知らず知らずのうちに、杏子からため息が漏れたのを一休の母は見逃さなかった。


蕎麦屋にとって一番忙しい昼時を越え、杏子は外に出た。 出る直前、義母が言った「今日は私たち出掛けるから、二人分の夕食でいいわよ」という一言を反芻し、今日は思い切って一休の嫌いなものにしてやろうと決意した。 日ごと募っていく不安とイライラによる完全な腹いせである。

思えば大恋愛の末に、という女の子なら誰でも憧れる流れで結婚したわけじゃなかった。
昔から一緒にいて、不憫な片想いをする一休をずっと見てきて(そこにはもちろん一休への片想いも入っていて)、 ついに一休が玉砕したあともそばにいて、そのままなんとなく結婚して。
ロマンチックのかけらもなかった。ただ単に寒い寒い冬の日、「寒いな」「寒いね」「なあ、結婚しようか」。 もちろん、たっぷり間を空けて「は・・?」と返すしかなかった。それまで恋人になるまでの過程もなんもなかったのだから。 白い息があふれる中であいつは笑い、「ずっと一緒にいられたらって思ったんだけど。だめ?」と言った。 今も思い出せる。ずっと返事を待つ一休の微笑みを見て、じんわりと頬が熱くなって涙が出そうになったこと。「いいよ」、そう言うので精いっぱいだった。 21歳の冬だった。
そしていまに至るわけなのだけど。杏子はすっかり悩んでしまっていた。
結婚して一か月たつが、果たして本当に両想いなのか、どうも実感が湧かない。いつまでたっても自分の片想いだけのような気がしていた。 それほどにともに過ごす日々は幼なじみとして過ごしていた頃とあまり大差なく、それでもいったん手にしてしまったが故に独占欲は強くなってしまったらしい、と。
けれど、独占欲まる出しの言葉を言えるはずもなく(だってあれは彼にとってはもはや習慣だ)、義母にも幼なじみにも相談できずにこうして悶々としながら過ごしている。
幸せ、なんだけれど。毎日ごはんは美味しいと言ってくれるし、いろんな話をしてくれるし、気遣ってくれたりする。
キスだってそれ以上のことだってしているのに、確信が持てないのは。お互いに「すき」だと言っていないからだった。

なんだか悔しくて涙が出そうになる。・・・ああもう本当に。私ばっかりキューを好きだ、と杏子はまたため息をついた。









忙しかった一日を終え、すっかり日も暮れた。
帰ってきた杏子が食事の用意をして、いざ食べようと食卓につく。そして、気がついた。
どういうわけか、いつもと違って一休が苦手とするものばかり並んでいた。一休は首を傾げた。 好みを熟知している賢い幼なじみにしては珍しい。明日は雨だろうかと思い、向かいに座る杏子を見れば、彼女は涼しげな顔で味噌汁をすすっている。


「・・あのー、イバちゃん。今日、なんかあった?」
「どうして?なんもないよ。ほら、早く食べないと冷めちゃうよ」
「・・・・・」


完全に嫌がらせだ。そして、彼女は怒っている、静かに。笑顔で相手の嫌いなものを勧めてくるという、恐ろしい芸当をやってのけたのが何よりの証拠だ。 長年鍛えられた幼なじみとしての勘が、頭の中で危険信号を点滅させている。
・・・触らぬ神に祟りなしと、とりあえず箸をつけることにした。 ものすごく苦手、な部類ではない、一歩手前の食べ物であるあたり、彼女の慈悲深さが表れている。 辛うじて空腹は免れることに、心の中で杏子様ありがたや、と拝むべきだろう。
それにしても、なぜこうなったのか。一休には、なんとなく心当たりがあった。数時間前の出来事を思い出す。


”あんた、いつまでイバちゃんって呼ぶつもりなの?”

先ほど出かけようとする母にいきなりそう言われた。一体なんだと面食らう一休に、母からの忠告はまだ続く。

あんたもほんとに父さんに似て愚かよねえ、結婚したっていう自覚がないんだから。いいかげん口説くのはひとりにだけにしなさいよ。
・・・・私の可愛い娘を不安にさせたら、いくら実の息子でも許さないわよ。

にっこり笑って言う母に圧倒されて、押し黙るしかできなかった。いやいやいやちょっと待って、息子に向かって堂々と「愚か」とのたまうってどういうことなのそれ。 ていうか、義理の娘優先ですか?お母さま・・・。
何も言えず引きつった笑顔で送り出すと、気まずそうに頭をかいていた父が「頑張れよ」というようにニヤッと笑った。


――彼らが何を考えているのかまったく解らないが、どうやら杏子の心中を察しているものらしいことには気がついた。
よく考えたら、名前を呼んだこともないし甘い言葉を言ったこともない。 それよりは笑いあって隣を歩くことの方がずっとずっと当たり前で、大切なことのような気がしたのだ。
でも、彼女は実は不安なんだろうか?――ああ、でもいまさら言えない、言えるわけないじゃないか。 生まれた時から一緒なのだ、そんな相手に愛のセリフなんて小っ恥ずかしくて言えやしない!考えただけで顔から火が吹きそうだ。
思えば、プロポーズだって言えたのが奇跡だった。 マフラーに、寒さに赤くなった顔をうずめた彼女が隣で笑った瞬間、なぜだか急に思ったその時、口から自然に出ていた。 ずっとそばにいて、と。
そうしてその後、寒いからとふざけて手をつないで、でもこれからもこうして彼女の手を暖める相手は自分であればいい、と小さな独占欲が生まれた冬の日。


「キュー?」
「、え」
「なにボーっとしてんの。もうお皿洗いも終わったよ。お風呂も沸いてるけど」
「あー・・・」

言葉を濁していると、変なキュー、と杏子はますます眉間に皺寄せて言う。訝しげに一休の隣にぺたりと床に座り込む。そこまでは良かった。
そのあと、熱はないよね、と恥ずかしげもなくおでことおでこをいきなり突き合わせるものだから、一休はびっくりして固まった。 ち、近い。そりゃキスも済んでるけども・・・!
彼女が母のように弟たちに接してきたそのなごりとはいえ、あまりにも自然にやられて、あんぐりと口を開けてしまった。 ないね、と納得して離れた杏子が「キュー本当にどうしたの。顔真っ赤だけど」と不思議そうに一休の顔を覗き込む。 言い当てられたとたん、自分の顔が熱くなるのを感じた。


「ちょ、イバちゃん今のは反則だろ・・・」
「なにがよ?」
「(わかってないし)」


一瞬の沈黙のあと。ぷっ、とついに杏子が噴き出した。
あははっ、なんか今、キューすごい面白い顔してるよ。
杏子の笑い声が響く。本当に可笑しくてたまらなさそうな温かい笑顔だった。
誰のせいだよ誰の、と、笑われたことに不貞腐れつつも、一休はぼんやりとその底抜けに明るい笑顔を見ていた。

いつからだったっけか。杏子がどんな風に笑っていても、見ているだけで憂鬱も嫌なことも吹き飛ぶようになったのは。 もう立ち直れないと思った大失恋の時にも、杏子の微笑みが強くやさしく励ましてくれた。大丈夫だよ、そばにいるよ、と。
そうして時は流れ、いつのまにか、彼女が笑えば必ず一休も笑っていることに気がついた。 そうしたら、今まで意識することのなかった、居心地の良さにも気づくのに時間はかからなかったっけか。

――そう、いつでもしあわせにつながる道を教えてくれていたのは杏子の笑顔だった。大人びていても、屈託がなくても。 見ているただそれだけで、今日もしあわせな一日だと思えた。それなのに。
もしも、自分がその大好きな笑顔を曇らしているとしたら。陰で彼女が泣いていたとしたら?――馬鹿じゃないかと思う。大馬鹿だ。 そんな風にすきなひと一人も幸せにできないやつの、羞恥心やプライドなんてくそくらえだ。そんなもの何の役に立つっていうのだろう、愛の前に砕け散ってしまえばいい。
一休の胸が、どうしようもない感情でいっぱいになる。ごめん、ごめん、ごめん。傷つけた。 いつのまにか笑うことをやめて、いま、ふいに俯く杏子が、どうしようもなくいとしい、いとしい、いとしい。


「・・・・・・イバちゃん」
「ん?」
「おれ、イバちゃんのことすき」


やさしいところも、強がるところも、気配り上手なところも、母親気質なところも、あったかいところも、全部、ぜんぶ。
あい、しているよ。


「キ、・・キュー・・・・?」


戸惑う彼女の顔は真っ赤でりんごのようで、一休は微笑ましく見つめる。
ああ可愛いなあ、たべちゃいたいくらい可愛い。なんて、数年前じゃこんな風に思うなんて思ってもみなかっただろう。 彼女を愛することは昔から変わらないけれど、新たに生まれたこの想いが、心の変化の証拠だと一休はしみじみ思う。


ごめんな、おれ、いつもついつい女のひとにああいうことしちゃうけど。 我慢しないで言っていいし、嫉妬もしなくていいから。だっておれが一番すきなのは・・・・・、杏子、だからさ。



そう笑って告げれば、杏子は涙をにじませながらも、とびきりの笑顔でこたえてくれた。 握られた片手が、とてもあたたかい。




――この子をしあわせにすると決めた。あの冬に生まれたこの想い、きみはまだ知らないだろう?
・・・今夜、たっぷり聴かせてあげようか。













いつもそばにいたね。

これからもずっとそうでしょう?




(わたしも、すき、だよ)
(絶対おれの方がもっとすきだって!)
(・・いやそれなんの張り合い・・?)







08.7.13.aoi

:::::::::::::::::::::
さい様からのリクで、「新婚キューイバで、イバ→キューと見せかけてキュー→イバ」でした。
なんか最終的にキュー⇔イバですけど・・・どうでしょう・・・。

この結婚にいたるまでの流れが、実はキューイバにとって一番自然なんじゃないかと思いました。 もう連載はいらないんじゃないかと(笑)
いいじゃないですか、「あ、俺イバちゃんと結婚しよう」と突然思ってそのまま口にしちゃうキューとか。萌えませんか。 案外こういうのも当てはまるなーと思うんですけど。え、私だけ?そうですか・・・。

このカップルは私の中では、根が子どものように純粋なキューが無邪気にリードです。 イバちゃんは我慢しちゃうし、どうしてもしっかりしちゃうから、それにいつも救われているといいな、と思います。やっと素直になれる、みたいなね!

このキューイバはなんだか新境地を開拓させてもらったようです。目から鱗、みたいな。
こんな見苦しい文でよろしければ、さい様のみお持ち帰りどうぞ。
リクエスト、本当にありがとうございました!