はあ・・・と何度かしれないため息をつく帰り道。
こうなることは判っていたから、心は意外にも落ち着いている。
だけど気がつけば大きな息をこぼしていて、どうにもならなかった。
その時思う。あぁ、あたし落ち着いてるんじゃない。違う、これは。




心がからっぽなんだ。







ジャリ。



「、お?飛鳥じゃん」

「・・・・・」

「なんだよ、睨むなよー飛鳥チャン」




うるさいやつがきた。まったく・・・この遊び人め、空気読みなさいよ。
今まで以上に大きなため息が出た。
感傷的な気持ちのまま誰かと話したくはなかったのに、ヤツはそうはさせてくれない。 こうしているうちに、あいつは口笛なんて吹きながらあたしに近づいてくる。
相変わらずひょうひょうとしていて、口元には軽く笑みすら浮かべている。 それがいつもにまして、なんだかむかついてしょうがない。
無言で思いきり睨んでやれば幼なじみは、怒ると美人が台無しだぜー?なんて言ってケラケラ笑う。
こいつはMなんだろうか。女にひっぱたかれても余裕で笑っていそうだ。 というか、そんな場面に遭遇したことがあったような、ないような。
曖昧なのは、彼の恋愛事情まで把握する必要性などまったく感じないからだ。

そこまで考えて、げんなりした気持ちになる。あぁ、面倒くさい。 なんだって今こいつに付き合わなきゃならないのか。ほっといて、あたしにかまわないで。
そう思いつつも身体が遥の正面に向くのは、もう直しようがない。 長年幼なじみとして接してきたためについた、癖のようなものだろう。 気がつけば思うよりも早く、遥と向き合っている。
そうして自分に呆れるのもいつものことだ。


「あんたにしては帰りが早いわね」

「友達に急にバイト入ってキャンセルされてさ」

「こういう時こそあんたに群がる女どもを活用すればいいじゃない」

「キャー飛鳥チャンこわぁーい」

「きもい」

「おまえは相変わらずおっかないね」

「それはどーも」

「褒めてないけどな」


自然と並んで歩きだす。そうしながら止まることなく会話は続けられる。 ほんとうにどうでもいいことを、つらつらととめどなく。
遥は普通の話すら人に聴かせるのが上手いから、なおさら。あぁ、こいつがモテるのって単に容貌だけのせいじゃないのかも。

駅からつづく道は、しんとしていた。ただ、時折さわさわとまわりの木が揺れる音がするだけで。
いつのまにかしのしのと小さな雨が降っていて、やわらかく、アスファルトも道端の花もなにもかも濡らしてゆく。 あたしたちの髪も身体も。傘なんて、持ってない。けど、今はそんなこと気にならなかった。 濡れていたかった。今だけは。

やがて、ふたりの口からも言葉は出てこなくなり、かすかな雨音だけがふたりだけの世界を支配していた。 感じるのは雨と、遥の存在がすぐ隣にあることだけ。
こうして静かに遥と町を歩くのはずいぶん久しぶりだった。ふたりで家に帰るのももう何年ぶりなんだろう。 不思議だ。
だけど一番不思議なのは、泣きたかった心が、遥とともにいることをすんなり許していること。 ほんの数十分前まで、ひとりでいたくて誰にも触れられたくなくて家に帰りたくなくて。 朝までなにもかも閉じていたいとそう思っていた、のに。



純白のドレス、紙吹雪舞うなかに見つけた、あのひとの笑顔。組まれた腕、永遠を誓うキス。



今日見てきた光景を、夢のようにぼんやりと思い起こす。
帰ろうと歩きはじめた時から、絶えずあたしの心のなかで繰り返される残像。
それはまだ強く心に焼き付いていて、あたしを苦しめ続ける。
そこには傷つけるものしか存在しなかった。初めて、あの人の笑顔を見たくないと思った。

そっとうつむくと、雨粒をはじいてわずかに光るパンプスが目に入った。黒くてピカピカの、お気に入りの靴。
友達の情報を集めて安いお店でやっと見つけた、あたしの宝物。 ずっとずっと履けるように、ここぞという大事な日にしか履かないようにしていたもの。





大事?大事な日?





―――――――ううん、全然大事な日なんかじゃない。

違うじゃない。だって、大好きなひとはもう永遠に手に入らないと思いきり知らされる日がどうして大事なの?


涙を必死に押し込めて、白いタキシードを着たあの人のそばにいった。震えないように、声で悟られることのないように、 笑顔を作って祝福の言葉を口にした。
あたしの姿は、最後まであの人の瞳にはどう映っていたのだろう。


今日は心浮き立つものなんかひとつもない日。悲しみに覆われた一日。


なのに。なぜ、あたしはこれを履いてあの人の前に立ったのだろう。






「飛鳥。今日、行ってきたんだろ」






静寂は破られた。
その言葉にあたしの足は止まる。息すら止まったような気がした。



―――なぜ、今それを言うの。



怒りと不満をこめた瞳で見上げれば、遥はいつもの軟派なかけらもない真摯な表情をしていた。
なに、なによその顔。どうしてそんな顔をするのよ。 お願いだから、真剣に哀れまないで。あんたにだけは、そんなことされたくない。
そう思っていたら、遥の瞳がすっと細くなっていつもの柔らかい表情に戻った。



「なあ」

「・・・・・そうよ」

「おまえのことだから最後まで泣かなかったんだろ」

「あたりまえじゃない。泣いたら止まらなくなるもの」


そう、泣いたら醜態をさらすことにつながる恐れがあった。
だから、想いはずっと、心の奥にひそめたままで。

「略奪しちゃえばよかったのに」

「できるものならとっくにしてるわよ。だけど先生があまりにもしあわせそうだったから―――――。
・・・ていうかあんたなんなのよ、さっきからずけずけと。そんなにあたしを怒らせたいわけ?」


多少怒りを含んだ声で問い詰めれば、彼は一瞬ぱちくりとしたあと、すぐにニヤ、と笑った。








「いーや、再確認しただけ。・・・やっぱおまえ、いい女だな」










そう、か。


――――――そういう、ことなのかもしれない。



彼は何も言わないあたしを見てふっと笑い、頭を撫ぜるようにポンポン、と叩いた。
それはいつもの彼からは想像できない、優しい優しいぬくもりだった。
そうして遥はまた歩き出す。



すとん、と心に落ちた彼の言葉が大きく響いている。
あぁ、もう。・・・遥には勝てない。


あたしは幼なじみの背中を見ながら、少しだけ涙をぬぐった。




きっとあたしはずっと、先生の前ではいい女でありたかったのだ。
弱みを見せるなんて言語道断。自分のわがままだけで想いを告げることも彼の前で泣く事もしたくなかった。 絶対に嫌われたくなかったから。
いつもなりたかったのは、先生が心から好きだと誇ってくれるような、そんな女性。
・・・たとえ、生徒としてだったとしても。

どこかで大人の象徴のように感じていたからなんだろう。だから、あたしはあの靴を履いた。
悲しみにくれるのではなく、少しでも愛した人の幸せを祝ってあげられるように、 まっすぐあの人の瞳を見つめることができるように。

これが最後だとわかっていたから。



まじないは、きっと成功したって信じてる。







「飛鳥ー、久しぶりにたこ焼き食わねえ?」





その声に、はっと気付くと、いつのまにか距離が少し開いていた。遥が振り返ってあたしに呼びかける。
遥の口元に笑みを見つけて、あたしもつられるように口元だけで笑った。彼に感じていた苛立ちはとっくに消えていた。
いいわね、と返して、小走りに遥の隣へといく。





哀しい時はいつもそうだった。
普段はあたしのことなんて気にもとめないくせに、そういう時だけタイミング良くひょこっと音もなく現れる。 あたしの心をより乱して、イラつかせる。平気な顔して痛いところをついて揺さぶる。
なのに、いつのまにかあたしを明るいところへ連れ出すことができた。
その言葉、その立ち振る舞い、声、表情、雰囲気・・・ただそこにいるだけで。


遥はそういうやつだった。









”おまえ、いい女だな”









たったその一言であたしの気持ちを変えるなんて。
まったく、これだから幼なじみはやめられない。








光 る パ ン プ ス に 、

あ い つ の 影


(これからは、あんたのために履くことにしようか)









07.11.aoi
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飛鳥の失恋話。
遥は実はちゃんと幼なじみのことを気にかけていて、好きなひとも知っている。 そんな感じがします。
一応この話ではふたりの間に恋愛感情はない設定です。

しかし・・遥のキャラってこんな感じでいいんだろうか。ヤツがつかめない。