拍手の大正・坊ちゃまと専属メイドパロ






I LOVE YOU.





「…ってなにかわかる?」
「―――え」

キューはなぜだかその言葉を耳にしたとたん、顔を真っ赤に染め上げたのだけれど。
先ほど旦那さまにそう聞かれたのだと、続いた私の説明に口を開けて、しばし呆けた。

「…………と、いうと……イバちゃんはしらない、のか…?」
「うん、私は独学だし外国語にまで手をつけていないからね」

それを旦那さまも知っているはずなのに、彼はニヤニヤと笑って、わからなければ馬鹿息子に聞けとのたまったのだ。
失礼しちゃうよねえ、とひとつ息を吐いてキューを見れば、彼は視線を彷徨わせ、慌てるように落ち着かない。 手で口を覆い、顔の赤みも引く気配がなかった。
風邪、引いたのかなあ。あとで体温計と薬を持ってこようか。私は現在花咲家にある薬の種類を思い浮かべて確認した。
その間にも彼はがしがしと頭を掻いて、うー、だとか、あー、とか、焦った…とかなんとか呟いている。 私はその不審な言動に、首を傾げるしかない。

「教えてくれないの?」
「え!?あー…いや、なんつうかちょっと言うのが恥ずかしいっつーか…」
「…?なにそれ。煮え切らないなあもう。――あ、」
「え?」

部屋の一番大きな窓のそばに立ち、窓を開ける。 すこし冷たい夜風が入ってきて、私の肌をそっと撫でていった。
そういえば、今日は中秋の名月だったと思い出す。 窓から見上げるその月の儚い美しさに、ため息が漏れた。
私の声を聞いて、キューが横に並ぶ。 同じように空を見上げたキューの心にも、どうやら月は優しく美しく微笑んだらしい。 感嘆の吐息が聞こえて、一瞬でキューの雰囲気がまろやかになった。
きっと彼は笑っているんだろう。 そう思って横目で見ると案の定で、キューはとても優しい、慈しむ顔を空に向けていた。 その顔に、私の心も温かくなる。
まただなあ、と思う。キューの傍にいると、こうしてなにか素敵なものを共有していることが奇跡のように思えるのだ。 自然と笑顔になってしまう。

「綺麗、だね」
「ああ」

また顔を月に戻した、その時。
思わず肩をびくっと揺らしてしまった――キューの手が、窓枠に置かれた私の手に触れたから。 すこしだけ、遠慮がちに重ねられたその手から、私の身体は一気に熱くなって、 キューの横顔でさえまともに見られなくなってしまった。 心臓が痛いほど暴れていると認識して、余計に頬が熱くなる。
いったい、どうしたんだろう。こんなことするなんて、やっぱり彼は風邪を引いて熱があるのかもしれない。 だって、キューの手がとても熱い。
きゅ、と上からすこし握られて、イバちゃん、と呼ばれる。小さな、内緒話をするような声だった。 かすれている低い声がひどく色っぽくて、そんなのは反則だと思った。
いつの間に距離を詰めたんだろうか。
眩暈を覚えつつ、必死に彼の方を向こうとして――後悔した。



…痛い。苦しい。彼の真剣な熱いまなざしが私の心臓もろとも貫いた。
なぜ。なぜキューはこんなにもせつない、なにかを言いたそうな瞳で私を見ているんだろう。
困惑でうまく動かない頭でぼんやりとそんなことを思った。
キューの口が、ゆっくり開いた。

「…月が、綺麗だな」

――風がすこし吹いた。キューの色素の薄い髪が揺れる。手が、そっと離れた。
キューがさっと目線を逸らし、俯いた。そうして私の傍から離れる直前に、小さな補足を付け足す。


そういう、意味だよ。




キューの背中が遠ざかり、部屋にひとり残された私はぼんやりと考えていた。
そういう意味、って。疑問に思うその前に、直感は答えをすでに弾き出していた。
『I LOVE YOU』―――『月が綺麗』、…ああ、だからキューは…。



―――ドン!!!


「っ、キューの大馬鹿…!!!!」

理解した瞬間、カッと頭に血が昇る。
だからって、何もあんなまぎらわしい教え方をしなくたっていいじゃないの!
勘違いしそうになる、あんなふうにまっすぐ目を見て囁かれたら。
忌々しい!と怒りに任せて窓枠を思いきり拳で叩く私の顔は、きっと彼にも負けないくらい真っ赤になっている。
月がこっちを温かく笑って見ている気がした。








き み を あ い し て る



(素直に教えてくれればいいのに)





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夏目漱石による和訳は「月が綺麗ですね」なんだそう。
初めて聞いた時は、そんなん日常的に言っちゃいますがなと思わずツッコみました。
でもすごく綺麗な和訳ですよね。

果たしてキューは言うのに照れて夏目漱石に逃げただけなのか、それとも愛の告白か。 はたまた冒頭でドキッとさせられた仕返しか。どれかはお好きに解釈してください^^




09.10.24.aoi