それはある日突然おとずれた。

なんの前触れもなく、彼女はあっという間にオレを暗く冷たい世界へ追いやった。
ごめん、と少しさみしそうに微笑んだ彼女を見てももう救われようがなかった。 いま目の前にいて声を聴かせてくれて笑いかけてくれていても。

もう彼女の瞳にははっきりと”さよなら”が映っている。


眉を下げてそんな申しわけなさそうに笑わないで、そんなの見てるオレも苦しい。 オレが好きだと叫ぶごとに傷ついていたんだろ?知っているよ。 わかっている。もう、もうそんな顔しなくてすむよう、オレはどこかへいこうじゃないか。 いまそうしなければ、今度こそオレはどこにもいけなくなる。
彼女を本気で好きになる前の自分に戻ってやろう。 そんな自分はもうずっとずっと昔のことのような気がするけれど。


「いままでありがとう、・・・アス姉」


小さく微笑み返した。たとえぎこちなくても、オレの決意はきっと彼女に届いただろう。
彼女はすこしだけ戸惑い、やがてしっかりと強くうなずいた。












「なにしてんの」


呆れたようなため息をつくような声が空から降ってきて、オレは顔を上げた。
あ、ちくしょう夕陽がまぶしい。涙でつぶれた瞳に強く差し込む光はつらい。
それでもなんとか目を開けると、そこには何の感情も浮かべていない幼なじみが仁王立ちしていた。 両腕が組まれたいつもの彼女のポーズに少しだけ心がじん、と沁みる。
ここは丘の公園で長い階段のてっぺんだ。まさかここに知り合いがくるとは思わなくて、一瞬戸惑う。 けれどすぐにいつものひょうきんな笑みにすりかえて明るく答えてみせた。


「あれ、イバちゃんじゃーん。どうしたの、こんなところでさ」


あんたの方がどうした、って話だっつの。
そう言いたげに彼女は眉を寄せたけれど、何も言わずにオレの隣に座った。
察してくれるやさしさがありがたい。イバちゃんは本当にやさしくて誰よりも大人だと思う。


「キュー、こんな場所もちゃんと知ってたんだね」


ため息を小さくついて彼女はそう言った。冷めていて落ち着いた声だ。 え、なにそれ?と問えば、だってキューはこんな綺麗な夕焼けを眺められるところにいそうにないよ、と イバちゃんは淡々と答えた。
・・・それはなにか、オレにはロマンチックすぎてると言っているのか。 もしくはセンチメンタルなのが似合わねえってことか?
憮然として呟くと、彼女はあははっ!といきなり弾けたように破顔一笑した。 それがなんだか急に殻を壊したように見えてつかの間不思議に思った。 それまでは意地でも笑わないというような、イバちゃんにしてはめずらしくつっぱった表情だったから。
それが一気になくなったから、あぁイバちゃんだ、なんてほっこりした気持ちになった。
そう、オレはイバちゃんの笑顔を見るといつも安心して、あったかくなるんだ。


「そうだ。これ、あげる」
「紅茶?おーサンキュー、イバちゃん」
「いいえ。さ、飲んで飲んで」
「うっす」


パチ、と二つ分のプルトップを開ける音が同時に響いて、やっぱりほぼ同時に口をつけてすすった。
それにお互い気づいて、思わず顔を見合わせる。そうしてなんだ今のー!と声を上げてふたりで笑った。
なんだかこんな風に笑うのは久しぶりな気がした。そんなことないのに。 1時間前にはアスカさんと楽しく笑った瞬間が確かにあったはずなのに、それまでの日々はもう遠い昔のように感じる。

あったかいミルクティーは、少しずつ少しずつ、オレののどを通っていく。
そのあったかさは心にも届いて、ふとなにかに似ていると思った。なんだっけ?わかんないや。 うん、わからない。なにかを考えるのもかったるくて重くて。どうせなら鋭いこの痛みもわからなくなればいいのにと思う。
だけど、いま確かに痛んでるこの心は暖かさもやさしさも感じてる。 いまここに流れてる包みこむようなやさしい空気もちゃんと感じている。 涙が出そうになる。それなら少しは悪くないのかな。


「キュー?」


気がつけば、イバちゃんがオレをのぞきこんでいた。 じっとオレを見つめる漆黒の瞳には、心配そうないぶかしむような色が浮かんでいる。


「あぁ・・・なに?イバちゃん」


彼女は数秒間黙ったあと、にこっと笑った。



キュー。今度どこかいこうか。みんなで遊べる日をつくってさ。ぱーっと遊ぼう。



え?と思わず耳を疑う。いま、なんと?

今日はなんだかイバちゃんの新たな一面ばかり見ている気がする。
だって家族想いな彼女は店番に忙しいのだ。 イバちゃんが遊びに誘うのはものすごくめずらしい。 一番星に集まりはするけれど、それだって集合をかけるのは大抵ミケなのだ。


・・・・ミケ。


ふいにふんわりとした花のような面影が胸をかすめる。
苦しい。苦しい。つらい。その浮かんでは消えない残像に顔が歪む。 思い出すだけで胸は張り裂けそうなのに、まだ愛しいと思う。
忘れられるんだろうか。 この先、彼女を思い出しても彼女の名前を聞いても、もう平気だと思うくらいに。


そんなオレにイバちゃんはなおもやさしく笑いかける。
絶対に気付いているはずだ。きっとオレは子どものような泣き出す寸前の顔をしている。 だけど気付かないふりをしたまま、変わらない落ち着いた声でつづけてくれる。





ね、キュー。

わたしたちとたのしいこと、しない?






一瞬の静寂。


ブハッ!と盛大に噴き出して笑い声が響いた。 いたずらっぽい笑みを浮かべたイバちゃんと目が合えば、いっそう愉快に感じて笑いがとまらなくなってしまった。


「おーいそりゃナンパかよ、イバちゃん!」
「上等でしょ」
「ぎゃははは!!!」


すましてみせたイバちゃんに、もう笑顔ははじけっぱなしだ。 最高だ。ほんとに最高だよ、イバちゃん。

数分間そうしていて、ひーひーと笑い疲れて、手にしていた缶を口に運んだ。 それでやっと落ち着き、何度も口にしてはそのたびあたたかさを噛みしめた。


するりと心がほどけていく。なんだろう、この気持ち。 さっきからずっと感じてる。 しあわせってこういうことをいうのかな。 心は満たされて、なにかが溶けてなくなりそうだ。でも、不思議と怖くない。不安なんてどこにもない。
それはたぶん、ずっとかたくなに持ちつづけていたかったものなのだ。 だけどそれはもうこなごなにくずれていて、それは紅茶のせいだと思っていたけれど。きっとそれだけじゃない。

ともに缶を口に運ぶ彼女を、横目でちらりと覗き見る。

彼女はオレがどうしてここにいるかなどとっくに知っているのだろう。だからここにきてくれたのだ。 あくまでも知らないふりをする。偶然を装ってそばにいてくれる。 そういう種類の彼女のやさしさを、オレは確かに知っている。 そしてそれに自分が救われていることも。

吐く息と同じ白さを放つ紅茶を再び口にして、夕陽が沈む瞬間を眺める。 遠い遠いオレンジ色の太陽は、さっきとはうってかわって瞳にやさしく語りかけていてくれる。

どうしてなんだろう。彼女がそばにいること、すぐとなりで笑っていてくれること。 そのことにこんなにも安心したこと、いままでになかった。
彼女のなにもかもがオレの心にしみてゆく。じんわりと、あたたかくやさしく。



あぁ、どうして。

オレの心はこんなにもほどけて、あんなにも想った日々が消えてなくなりそうに思えるのだろう。

















し あ わ せ フ レ ー バ ー


(イバちゃんはいったいどんな魔法を使ったんだい?)










07.12.aoi
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でました、丘の上でひとり泣くというなんともヘタレな男、キュー(笑)
でもそういう泣きたい時ってあって、思いきり泣いたあとには こんな風に誰かがそばにいてくれると安心する。
イバちゃんは静かに、でも確かにそこにいる。さりげなくそばにいてくれる。 そういう類の慰め方ができる女の子だと思います。