ああ…これが俗に言う喧嘩ップルってやつなのかなあ…。
目の前で周りの目も気にせず盛大に喧々諤々し始めたふたりを見て、私は黙ってジュースを飲んでいた。
止めるべきか、止めざるべきか。それが問題だ。 シェイクスピアの有名な謳い文句に乗せ、あ、これなんて訳すんだっけ、 なんて受験生の哀しい性でそんなことを考えていると、真後ろからふたつの声が降ってきた。

「あーあ、また喧嘩してるね」
「つーか毎度毎度よく飽きねえなあ」
「もうあれでしょ、じゃれあいってやつ。彼らなりのラブスキンシップ」
「なるほど」

この声は。そう思って振り返ると、やはり鷲尾さんと犀川さんが立っていた。 ぺこりと挨拶をすると、ふたりとも気さくに片手を上げる。
ふたりはベンチの背に腰掛けて、それから呆れたように獅子王さんと百子さんを見た。

「素直じゃないと思わない?ふたりとも」
「大体さあ、一度は転校するはずだった百子を連れ戻したのは獅子王なんだぜ」

え、と私は口に手をやる。初耳だった。 百子さんたら、どうしてそんな大事なこと一言も言わなかったの!と一瞬、憤慨しそうになる。

「もうひとつ教えると、生徒会選挙があった時のことね。 百ちゃんてばさ、生徒を脅そうとする獅子王に言ったんだよねー… ”獅子王はそんなことしなくても勝つと思う”ってさ」
「愛だなって言ったら獅子王に殴られたけどな」
「…もうさあ、そういうことなんだよね、結局は。心の底で繋がってるってわけ。 どんなにいがみあっても、ポーズとしか見られなくなっちゃったよ」

…あーあ、もう。それはそれはごちそうさま。
私はため息をつき…ああどうしよう、思わず顔がにやけそうになってしまう。
察したのか、鷲尾さんが「恥ずかしいやつらだよねえ」と私の気持ちを汲むように笑いかけてくれた。 こくこく、と少し赤くなりながら頷く。
この言いようがないむず痒さは過去にも体験済みで、やっぱりそれも杏ちゃんに繋がってしまう。 かつてキューちゃんが、大胆にもみんながいる前で杏ちゃんに告白した、時。 あの時と同じくらいこっちが恥ずかしくていたたまれない。 思い出すと今でもそこら中の木にぶつかったりと、とりあえず物に当たりたくなる。 傍観者がこうなんじゃ、当事者はもっと大変だろうなあと思う。ああもう、叫びたい!
そんな私と同じく、ふたりがニヤニヤしながら暴露を続ける。

「さっきもさあ、百子ちゃんの姿が見えなくて、パトロールだって言ってるのに百子百子とうるさくてよ」
「自分の目に届く範囲にいなくなったとたんイライラするんだよねー。ある意味判りやすい」

再び呆れたように笑うふたりは、早く付き合ってしまえと思っている様子がありありと出てる。
私は、未だに口論しているふたりを見る。 喧嘩はめったにしないから別に杏ちゃん達と重なりはしない…けど。 でも、やっぱり杏ちゃんが意地を張る様によく似ているのだ。
だから。

「百子さん!」
「大体あんたは、…ん?桃ちゃん?」

口論が止まった隙をついて、百子の手をとる。
え?と聞こえた小さな声はお構い無しに、私はその手を獅子王さんの手にしっかりと握らせた。


「…………っな……!?」


ふたりは絶句して、顔を見合わせたまま固まった。

「ヒュー、いいぞ桃ちゃん、ナイス!!」
「なるほど、最初からこーすりゃ良かったわけねえ」

私は、にっこりと笑って、はやし立てるふたりにピースサインを送る。
――素直になれないなら、実力行使だ。そうやってキューちゃんも杏ちゃんを素直にさせたことを私は思い出したから。
『おれ、イバちゃんが好きだ』
今でもはっきりと思い浮かぶ。突然の告白の勢いで抱きしめられた杏ちゃんの、呆けながらも真っ赤な顔。 頷いた杏ちゃんの姿に、キューちゃんは最高に幸せそうな顔をしていた。


「ちょ…、は、離しなさいよ…!」

百子さんが震える声で抗議してる。 けれど、顔をこの上なく赤らめて困ったように眉を寄せて、なんだか泣きそうにも見えるその表情は、 なんていうか…女で年下の私から見ても、すごくすごく可愛くて、色っぽい。
本当は、獅子王さんは百子さんの世界の中心で、支えになっていて。けれど彼の存在の大きさに気づいていないから、こんな風に急速に近づくと動揺して。 無意識なのかもしれないけれど、だから困ったような顔をするんじゃないかなあと思う。
だけどそんな顔で離せなんて言われても、ますます離したくなくなる。むしろずっと捕まえていたくなるだろう。 そんな潤んだ瞳と赤く染まった頬を直視してしまったら、ぐちゃぐちゃにたっぷり甘やかしてあげたくなる気がする。 男なら、もっととろけさせたくなるんじゃないだろうか。そのくらい、戸惑う百子さんは可愛かった。
現に、後ろのふたりもその表情に固まっている。うわ…やべ…なんて言葉が聞こえた。
見ている私まで、心臓がバクバクする。恋はあんな表情も作ってしまうんだ…。

獅子王さんは、しばらく大きく見開いていた目を、通常の鋭い目付きに戻して、手に力を加えたみたいだ。痛い、と百子さんが小さく悲鳴を上げる。 そうして百子さんの都合も構わず、手を引っ張って強引に引き寄せた。

「きゃんきゃんうっせえよ。…大人しく握られてろ」

彼はキスするくらいの距離で、低い声で命じる――それはまさしく、ホールドアップの瞬間だ。もう百子さんは逃げられない。 獅子王さんの瞳と声は勇者アキレスの唯一の弱点のごとく、百子さんをそのまま居すくめてしまった。ぴたりと止まったまま、彼の瞳に捕らわれている。
観念して、正直にその胸に飛び込めばいいのに。獅子王さんは破天荒な問題児らしいけれど、いつだって彼の目は誠実に百子さんに向いているんだから。 ただ、百子さんがそれに気づいていないだけで。数分前に会ったばかりの私にもわかるくらいなのに、百子さんは獅子王さんに敏感なようでいて鈍い。
彼は、一度手離しそうになったからこそ、もう離したくないに違いない。それがただの独占欲か恋かはわからないけれど。

「………もう、しょうがないわね…!」

そっぽを向きながらも、獅子王さんの手に手で応えたのがわかった。途端に獅子王さんのまぶたがぴくっと動いて、ほんのわずかに頬が染まったような気がする。
私は微笑んだ。百子さんってば、わけもわからず嬉しくなってるのに戸惑って、必死にそれを隠そうとしてるんだもの。

「おー動揺してるよ、あの獅子王が」
「いいね桃ちゃん、可愛い上に優秀。うちにきなよ、生徒会に入ってほしいなあ」
「桃ちゃんなら、いつでも歓迎するぜ。はい、生徒会室入室許可証。遊びにこいや」

…えっと…あの、クッキーじゃ割れて終わりなんですが…。つっこむべき?
嬉しいけれど戸惑う私の耳に聞こえたのは、獅子王さんのきっぱりとした言葉だった。

「悪いが、うちに『ももこ』は一人で十分だ」

――俺は、百子(こいつ)だけでいい。
そう告げて、百子さんの手を引き、強引に連れて行ってしまう。ちょっとー!と叫ぶ声が遠ざかって、ああ、さよならの言葉も言えなかったなあと思う。
けれど、私は満足していた。あれでいいのだ。大体、百子さんは自分から振りほどこうとはせず、相手に手を離せと主導権を渡していた。 だから、されるがままでいい。そうしていつかは、自分から。

「…絶対あれ、百子(こいつ)『が』いい、だよな」
「ほんとに素直じゃないねえ…」
「ですね。…まったく、手のかかるカップルばかりなんだから」

ふう、と息をつく私に、犀川さんたちはゲラゲラと笑う。見かけによらず苦労してんだな、と私の頭を撫でた。 クロちゃんとはすこし違う、骨ばった手に、すこし心が跳ねる。
その時、桃ー!と呼ぶ声が聞こえた。ナナの声は完全に怒っている。 ああ…すっかり彼女の存在を忘れていた。そのことは、内緒にしようと心に固く決めた。





私の周りは誰もが精一杯恋をしている。そのことが少し寂しくて、だけど背中を押してあげられたことは誇らしく思うのです。
そして、それは私だったからできたことなのかなって。
今日の出来事を杏ちゃんに話したら、彼女は苦笑いをしました。

「桃子にはほんっと敵わないんだよねえ…」

にんまりと、自分の顔がにやけるのがわかりました。
…私にだって、杏ちゃんに参ったと言わせられるのだと気がつきました。 たとえこの家では杏ちゃんが一番だとしても、その杏ちゃんでさえ敵わないといえるものが私の中にある。 はっきりとここ、と指し示せる確かなものじゃないとしても。
なんだかよくわからない自信だけれど、でもそれは私には大切で必要なものでした。 別に杏ちゃんを負かしたかったわけではないのに。それでもこれからは、堂々としていられるような気がするのです。月や星に、頼られなくたって。 私はちゃんとお姉ちゃんで、『椎葉桃子』だと胸を張れるような気がしました。 結果的には、そう気づかせてくれた大切な一日になりました。
百子さんもそうであるといいと思います。特別な、特別な一日になったと、いつか会って聞くことができたら。
口で言わなくたって、手を繋ぐだけでわかりあえる想いも、そういう伝え方もあると思うのです。

私にしかできないことってこれだったみたい。恋のキューピッドっていうのかしら?うまく言えないけれど。
クロちゃんにそう言うと、彼は大好きなその手で私の頭を撫でて、笑いました。 そうなんじゃねえの、と言って。
だといいなあと思います。クロちゃんが笑ってくれたのですから。
正直になれない恋ほど、せつないものはないってこと、どうしてみんな気づいていても臆病になったり、気づかないふりするんだろう。 そこだけ不思議で、でも、ちょっぴり気持ちはわかるのです。
目の前にいるかっこいいお兄さんは、とっくの昔からミケちゃんのもので、だから私は決して彼に伝えることはありません。 ほのかな初恋、ただそれだけで。 奪おうとするような『好き』ではなく、クロちゃんが幸せで笑っているなら私も笑える『好き』が今もこれからも続く、生涯、終わらない初恋なのです。
キューちゃんがアス姉を好きだった頃、杏ちゃんもこんな気持ちだったのでしょうか。いえ、私とは比べ物にならないほど、嫉妬も悔し涙もたくさんあったはず。 だけどそんなことも今では笑って思い出にできる二人が、今、確かにいます。
相変わらずキューちゃんが抱きついたりスキンシップで愛を伝えて、杏ちゃんはうざったそうにしてるけど。 本当はすごくすごく嬉しいのでしょう、照れを隠すためにちょっと怒ったような顔をしながら手を伸ばして、ふたりの手は繋がれます。
杏ちゃんが歩み寄ってくれた時のキューちゃんは、とても嬉しそうなことを私は知っています。

ね、素直になるって、幸せへの第一歩でしょう。
意地張ってちゃあ、もったいないんだから!








グ ロ リ ア ス ワ ー ル ド



(交差する)(うつくしき世界)




09.12.27.aoi
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長くてすみません。
そしてクロや桃子に夢見すぎですみません。
いろいろツッコミどころがある話でしょうが、楽しんでいただけたら幸いです。