平穏な日常には、多忙とも言うべき生徒会執行部業務も含まれている。
本日の業務は、主に外にあった。 校内の見回り、備品などの点検、その他もろもろを手分けして行うため、人手はたくさんいる。 そんなわけで、常日頃から執行部員として励んでいる相楽深行(みゆき)と宗田真響(まゆら)に加え、お助け要員化している鈴原泉水子(いずみこ)と宗田真夏も参加していた。



「泉水子ちゃん、そっちはどうだった?」
「うん…特に不備はないみたい」
「そっか。じゃあ次のエリアに行こう」

控えめにおずおずと報告する泉水子に、真響はにっこりと笑う。 そうすると泉水子も微笑んだ。
(かわいいなあ、泉水子ちゃん)
真響は、ルームメイトの泉水子が大好きだった。 一目で気に入ったが、一緒に過ごしているとますます彼女の良さもわかり、今では親友のように、時には妹のように接している。 世間知らずゆえに臆病で引っ込み思案なところがあるが、問題にきちんと立ち向かえる女の子だ。おっとりとしていて優しいところが、一緒にいて癒される。
弟の真夏も同じらしく、特に泉水子が真澄を怖がらないのを見てからは、いっそう彼女に親しみをこめて交流していた。
けれど、その一方で妙な関係にある男もいる。真響は、少し離れたところで泉水子になにか聞かれて答えている深行を、そっと注意深く眺めた。 深行は手に持っているファイルをペンでつつきながら、ぶっきらぼうに話している。

彼は、身長が高いこともあるが、総じて大人びた少年だ。 ややきつめながらも端正な顔立ちとクレバーな立ち振る舞いに加え、人との間をうまく渡り歩いてゆける器用さと愛想の良さを持っていた。 それでいて程よい距離を保って人と接することができるし、彼の聡明さも手伝って、評判はすこぶる良い。執行部に真っ先に誘われただけのことはあった。
泉水子が、深行の表情を気にしながら遠慮がちに話しかけるのに対して、深行はなぜかそっけない。 会話まではくわしく聞こえないが、なるべく親密に関わりたくない様子がちらりと窺えて、真響はひそかに眉をしかめた。
真夏に、どうしたの、とのんびり問いかけられ、真響はなんでもないとすぐに笑った。けれど、彼の態度に釈然としないものを感じて、また視線を元に戻す。
どうもよくわからない、このふたりは。深行と泉水子の関係は、ただ親同士が友人なだけだというが、それだけでないと思う。たとえば絆、のような。 何も言わなくても自然とわかりあって、ふたりは動いているような。
それなのに、本人たちはまったくそう思ってないようで、口を開けば仲良くないの一点張り。 特に深行は、自分から極力関わろうとはしなかった。 親しそうだと思ったら、喧嘩したようなぎこちない雰囲気になる。かと思えば、その逆の時もあって、まるでシーソーゲームのような変なふたりだと真響は思っていた。
その断片、それも裏の一面を、今この目で見たような気がする。 「どうしたの」と笑顔で話しかけていたあの顔とは、まったく違って見えた。
深行は、泉水子に対してだけ、あんな態度を見せるのだ。そのことに、真響は静かに驚いていた。



長い作業を一通り終えた頃には、もう午後五時をまわっていたが、夏の空はまだ青いままだ。 これから、いったん生徒会室へ戻り、報告をしなければならない。四人で決めた集合場所に、真夏と泉水子もそれぞれ任されたスペースから帰ってくる。
泉水子を見て、真夏が気づいた。

「あれ?泉水子ちゃん、脚、怪我してない?」
「え?あ…」

言われて初めて気づいたらしい泉水子は、困惑した顔つきになる。意識したことで痛みも感じ始めたのだろう。 膝からは血が流れているし、ぶつけた時の痣もくっきりと出てきていて痛々しい。

「血が出てるじゃない。どうしたの、転んだの?」
「うん、さっき、ちょっと階段で。その時は全然気づかなかったんだけれど」
「…相変わらずドジだな、鈴原は。とりあえず――」

その傷を心配する真響とは反対に、呆れたように言った深行の言葉がとぎれた。

「よいせっと」
「きゃ…っ!…ま、真夏くん!?」

見ていた真響と深行も、ぎょっとする。
真夏は、泉水子の膝の裏に腕を回し、腰に手を添えて軽々と抱き上げたのだ。 まるで小さな女の子を片腕に乗せるかたちで抱え込み、そのままくるりとこちらを向く。落ちないように、泉水子が慌てて真夏の肩に手を置いた。 ふたりは、より密着する。
その光景に真響は、まるで騎士と姫がそこにいるような錯覚を覚えた。ついでに、眩暈も。

「保健室に連れていくねー。待ってて」
「え、ちょっと…真夏!?」

真夏はのんびりと告げるが早いが、姉の言葉も流して、さっさと行ってしまった。
真響はあっけにとられた。弟が今まで、あんな風に女の子に接したことがあっただろうか。いや、ない。 彼はいつだって家族以外の人間には無関心で、恋のあれそれすら興味がないのではないかと勘繰りたくなるほど、人間を超越した男なのだ。 真夏が常に興味を持って行動するのは、馬が絡んだ場合のみであった。
それが、ああいった行動に出たのは、それほど泉水子が重要な存在になっているということだ。 やっと思春期の男子らしく、まともになってきたのだと、真響は姉としてホッとするやら寂しいやらだ。 我が弟ながら大胆な行為を躊躇いもなく、それも大したことではない風にやってのけたことに、妙な感心もする。まあ、お姫様抱きでなかっただけ、まだマシだった。

そこで、ようやく真響は気がついた。やたら隣が静かな上に、なんだか良くないオーラを感じる。真響は、ゆっくりと深行を見やった。
その瞬間、深行の表情を意外に思いつつも、見たことを後悔する。


(…真夏、殺られるかもね…)


人を射殺しそうな顔というものを、はじめて見た。
いつもの自分のまま快活に語りかけて毒気を抜かす方法もないではなかったが、あいにく今の彼にそんなものが効くとは到底思えなかった。 それほど眼差しは鋭く、その瞳ならナイフにも負けないのではないかと、嫌な汗を感じる。
――触らぬ神に祟りなし。
そう決め込んだ真響は、大人しくふたりの帰りを待つことにした。いい天気だなあと平和を求めて、のんびり空を見上げる。

それでも、今日はすこしだけ、ふたりのことがわかったように思えて、真響は心の中で微笑んだ。
なんだかんだ言いつつ本当は、深行は泉水子に頼られる存在でありたいのだ。 あんな風に彼女に接するのも、彼女が身を任せるのも、自分だけだとどこかで思っているに違いない。 深行も、泉水子にしか見せない顔がある。真響のしらないところで、ふたりがふたりとして確立しているのだ。
だけど、自分が不機嫌になっていることも、そのわけも、本人は気づいていないのだろう。
泉水子は泉水子で、彼との関係になにか思うところがあるのは、なんとなく感じている。

ああ、なんて複雑なのだろう。それでも推測すればするほど、彼らはスウィーツな関係にしかなりえない。
真響は、にやけそうになる口元を必死に抑え、寮に帰ったらどう泉水子をからかおうかと楽しく思いを馳せた。










ついでに愛しちゃえば?



(なんて、簡単にはいかないんだろうな)








t.忘却曲線

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いずみこちゃん大好き真響視点のふたり。真夏くんには当て馬になっていただきました。
が、実際こんなことをしても深行が態度に表すかは正直自信ありません(おい)
とりあえず無意識に意識するふたりでいけばいいと思います。それに真響さんが気づいてによによしてればいい。




09.10.24.aoi