あまり教育熱心でも子煩悩でもない雪政にも、心を掴まれる瞬間というものは、確かにあった。





珍しく仕事も用事も入らなかった日曜日。
雪政はカーペットが敷かれた床に、肘を立てて寝転んだ。
隣で、すうすうと寝息を立てている息子の前髪をかきあげ、ふわあ、とあくびをひとつかます。
戦隊もののアニメを見て興奮した後にやっと昼寝に入った息子に、やれやれと思う。 深夜まで仕事をしていた身には、相手をするのもつらかったからだ。
ぼんやりとしながら、深行を眺めた。 ぷくっと膨らんだほっぺたをちょっとつついてみると、極上の柔らかさともいうべき感触に感動する。 しばらくぷにぷにと楽しんでいると、深行が少し反応したけれど、もちろん、それでやめる雪政ではない。
だが、その遊びはほんの数秒で終わりを告げた。下りてくる瞼の重さには堪えられなかったのだ。
眠る子どもを見ていると睡魔に襲われる不思議について一瞬考え、答えを出す前に雪政もいつしか眠りに落ちた。





気がつけば空はオレンジになっていて、隣を見ると深行がこちらをじっと見つめていた。
お互いに寝そべったまま、視線を外さない。深行の大きな瞳はくりくりと動き、爛々と輝いていることに、雪政は気がつく。
いったい何に興味を持ったのだろうと、苦笑いをした。

「どうしたんだい」
「ぼく、おとうさんと同じ、やまぶしになる」

雪政は耳を疑う。これまた唐突な意見だ。
一体なにをどうしてそうなったのだろう?思わず目をしぱしぱと瞬かせた。

「深行はやまぶしがどういうものかわかっているのかい?」
「……?」
「わかってはいないんだな…」

雪政が笑うと、深行は黙り込んだ。自らに芽生えた思いの丈を父に認めてもらおうと、一生懸命考えているらしい。
そろそろ夕飯の支度をしようかと思い始めた頃、深行は口を開いた。





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「――とまあ、こんな過去もあってね。なのに、今の深行ときたらちっともかわいくないんだから。時の流れは残酷だね」

私も老いるしね、と芝居めいた仕草で雪政がため息をついていると、後ろからどす黒いオーラを滲ませた声がした。

「……おい雪政…なんでここにいる…?」

ふざけ半分でのたまう雪政は、深行の記憶からしても昔と変わらないと思えたため、余計にイラッとくるらしい。
深行は眉をしかめた。
誰にも見られない場所にいるとはいえ、彼が教師という鎧を被りながらも接触してきたことに、訝しげに思わずにはいられない。
更にいえば、なぜかいる泉水子がうっすらと頬を染め、きらきらとした瞳を雪政に向けているのがまた気に入らなかった。

「あの、相楽さん。もっと聞きたいです」
「おい」
「じゃあ話すとしようか。他ならぬ泉水子の頼みだからね」
「や、め、ろ。大体、なんであんたここにいるんだよ」

非難すると、雪政は肩をすくめた。息子の顔を見に来ちゃ悪いのかい、と言いつつ、続けた。

「懐かしい夢を見たんだよ」
「?」
「深行は覚えているかな?昔、山伏になるって言いだした時のこと」
「…えっ」

その様子じゃ覚えているね、と雪政はニヤッと笑った。
爽やかな教師姿からは見られない、どこか嬉しそうな顔だと、そばで見ていた泉水子はそう思う。 そして、なぜか焦っている深行に首を傾げた。
満足したらしい雪政は、口笛でも吹きそうな涼しげな顔でさらりと告げた。

「だから、私は山伏で在り続けるのだろうと思ってね」

その言葉に深行が目を見開き、そして真っ赤な顔でぶるぶると震え始める。
――賢さ、記憶力の良さは時に厄介なものだ。解りたくもない真実を自然と手繰り寄せてしまうのだから。

「あ、頭沸いてるんじゃないのか!?」
「失礼だな、親に向かって」

じゃ、とまぶしいほど輝いたスター並みの笑顔を向けて、雪政は颯爽とその場から去った。
とたんに静かになった廊下。
残された泉水子は、考えた。今日の雪政がすこしだけ、違うように思えた訳を。

「…懐かしくなったって言ってたね。きっと深行くんの頭を撫でたくなったんじゃないかな」

だから普段とは違う行動に出たのだ。学校とはいえ、ふたりの前に顔を出して接触を図った。
結局は出来なかったけれど、そういう気持ちがあったのかもしれない。 だって、どこか親のような優しい瞳をして深行を見ていたから。
泉水子は、気まぐれとはいえ、そういった心境になったのだろう雪政に安心する。
彼と深行には、心のどこかで繋がれた確かな思い出があるのだと。

「やめろ…気色悪い」

ぶっきらぼうに言う姿は、どこか照れくさそうにも見えた。
口元も目も完全に悪にはなりきれないようで、ほんのり、ほころんでいる。
その体で悪態をつく様は、泉水子から見ても可笑しいものだった。
――まだまだ、素直になれない年頃らしい、と。






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職員室へと辿る廊下を、雪政は歩いていた。
もう部活の時間だからか、誰ひとりいなく、静かだった。

――幼い彼が出した答えを、雪政はいつまでも覚えている。 ぽつんと雪政の心に波紋を落とし、らしくもない感傷を抱えるはめになった。
雪政が彼の父親でなければ。深行が雪政の息子でなければ。
そうでなければ、きっと数年経った今でも響かなかった言葉だろうと、柄にもなく思うのだった。

あの時、自分を見つめた、深行の真摯な瞳。
それを目にしたとたん、雪政の心はたやすく揺れた。 そのことに、彼を知る人間なら誰でも驚くに違いなかった。
まさかこんな――……思いがけず動揺したけれど、自分も結局は人の親なのだと、理解させてくれた瞬間。 だから今でも、忘れられないでいる。
雪政は自分でも意外に思いながら、何も言えずに、ただ微笑んで深行の頭をさわさわと撫でたことを思い出していた。
めずらしく飽きることなく、いつまでも。
嬉しそうにされるがままになっていた深行の幼い笑顔も、ずっとあの頃のまま、心の中にある。






『やまぶしは、おとうさんみたいにかっこいいんだ』














H e y , D a d d y



(ぼくだけのヒーロー)









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雪政と深行の、親子のかたち。



2010.09.11.aoi