泉水子の歌声が聞こえる。
風に乗って深行の耳に届くのは、意外にも涼やかで凛とした響きで、ずっと聴いていたいと思わせる。

(…たぶん)

これがこいつの本質だ。
本当は誰より度胸があって強い。けれど、ふいに現れる臆病さ、自信のなさが、泉水子の弱さを浮き彫りにしてしまう。
それでも、泉水子は自分の足で立てられるようになっている。
学園内だというのに、ひとのいない場所を見つけてひとり舞っているのだから、あの山にいた頃とはずいぶん変わっていた。
世間から多少ずれているところが度々出るけれど、それすら泉水子の『味』なのだと、深行は風に吹かれながら考える。

(おれが見ているとわかったら…)

(鈴原はどう思うんだろうな)

偶然見かけた泉水子が、普段の行動範囲とはまったくかけ離れた場所に向かうのを見て、つい心配になって追ったのだが、 蓋をあけてみれば納得がいった。
舞うための場所を見つけるなど、泉水子らしいと思う。
泉水子が舞う姿は、一回しか見たことがなかった。だから、なんとなく離れたところに佇んで、見守っていた。



からのを 塩に焼き

しがあまり 琴につくり かけ弾くや…




「………」

初めて見た時と同じ思いを、今も感じている。
何もできないと泉水子は言うけれど、彼女にしかできないことを、深行は今までにいくつも目にしていた。
今でさえ、ありふれた小さな丘のような平凡な場所のはずなのに、彼女はたやすくこの場を神秘的なものに変える。
あまつさえ深行をぞくりとさせているのは、他ならぬ泉水子の舞だった。
だから尚更、自分に自信がない様に目を疑うし、苛つくこともある。だけど。
――泉水子は、よく笑うようになった。
それに気づいた時と同じような想いも、ここにある。





ゆらのとのわたりの となかのいくりに

ふれたつ なづの木の さやさや







ふわりと揺れる三つ編みを、いつしか目で追っていた。
泉水子のやわらかな表情。
綺麗に動く指先。長いまつげがかすかに震えることだって知っている。
そのひとつひとつから、目が離せなくて――






「…深行くん?」




ハッと我に返った。
まるで夢でも見ていたような心地に、じんわりと汗が流れる。
泉水子は目の前におり、不思議そうに首を傾げていた。その様子を数秒眺めて、舞は終わったのだとようやく理解した。
途端に、頭にかかっていた霧がスーッと晴れ、代わりに姿を現わしたのは、叫び出したいほどの羞恥心だった。

「……っ」

咄嗟に口に手をやり、泉水子から目を逸らした。
泉水子はますます訳がわからなくなったらしく、困った顔になる。

「あの…ずっと見てたんでしょう?」
「……!」

深行は言葉に詰まった。一番認めたくない事実だったからだ。
だが、顔を逸らしたまま、小さく頷いて肯定した。
泉水子がホッとした気配がする。

「良かった、かな…?」
「…ああ」

苦し紛れに出した答えでも、泉水子には十分だったのだろう。
ちらりと見れば、泉水子は嬉しそうに微笑んでいた。ありがとう、とはにかみ、寮に戻るのか小さく駆け出した。
次第に遠くなっていく泉水子をしばらく眺めた。
そして腕組みをして木にもたれ、深行はため息とともに目を閉じたのだった。






『ずっと見てたんでしょう?』






(…なに恥ずかしいことしてるんだよ、おれは…)



だけど、もうわかっていた。
いつのまにか心奪われる。
彼女が笑う時も、舞う時も、どんな時も。


誰かに落ちていくなんて初めてだと、深行は熱い顔を片手で覆った。








流るる君の美しきこと



(見とれた、なんていえないけれど)











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t. Rachael


2010.10.16.aoi