「みんなみんなそうよ、『わたし』じゃないわ、あのひとが大事なのよ!相楽さんだって『わたし』じゃなくて姫神が欲しいんだから」
「鈴原、おれは」
「なによ、深行くんだって姫神には簡単に見とれるくせに!わたしなんかどうでもいいくせに」
「鈴原、」
「離して、もうほっといて、」
「―――鈴原!」

鋭い怒鳴り声に、泉水子がびくっと身体を大きく震わせた。やや間があいて、怯えた目を深行に向ける。
―――本当に馬鹿だ、こいつは。『泉水子』がどうでもいい存在なわけないだろう。
深行はまっすぐ、泉水子の瞳を射抜いた。心の奥深くまで、この気持ちが沁みていくようにと。



「おれは『鈴原』が大事だ。―――それじゃ、だめか」



泉水子は涙を浮かべた瞳を見開いた。探るように深行を見つめるその目は揺れ動いている。
その瞳に、掴んだ腕のあまりの細さに、半分信じて半分疑っているように寄せられた眉に、深行はどうしようもなくなって泉水子を強く引き寄せた。
かたん、と何かが落ちた音がした。そのあとは、やけに静かで時が止まったように、ただ暴れる心臓の音だけ響いている。 深行は、彼女に聴こえてしまうんじゃないかと、顔に熱が集まる。 常にポーカーフェイスな『深行』など、もう泉水子の前では剥がれ落ちていた。

初めて身体全体で触れた泉水子は、思ったよりずっと小さくて柔らかくて温かかった。
ぎゅ、と彼女の頭ごと抱えて更に胸の内に抱く。 そうすると、より高鳴った心臓の音が尋常ではないとわかってしまうのではないかと怖くて、でも、それでも良かった。触れる事の方がずっと大事だった。
頬を泉水子の髪に寄せる。そうしていると、ひどく安心感を覚える。 もうずっと昔から、まるでそうすることが決まっていたかのように、落ち着く。この感触を知ってしまえば、もう容易に離れられないと悟った。
鼻をすする音が聞こえて、泉水子が身動ぎする。 それに合わせて少し力を緩めると、泉水子は両手を恐る恐る深行の背中に回して逡巡したのち、すがりつくように力をこめて深行に抱きついた。

「……!」

言葉はいらない。信じてもらえたのだとわかって、深行は途端に強く強く抱きしめる。腕の中から、涙の音が聞こえた。 安心したのか、せきを切ったように止まらない。深行の背中をつかむ手に、いっそう力がこもった。
泣かないで。おれが、あらゆる悲しみから守ってみせるから。
今まで陳腐だと鼻で笑っていた台詞を、こんなにも慈しみを持って心から思う日がくるとは思わなかった。泉水子は、容易くそうさせてしまえるのだ。かなわない。
すこし頭をずらして、こめかみにくちづける。突然、触れた唇にまた身体を震わせるけれど、それでも彼女は離れない。 顔を見られないようにするためか、ますます強く深行に身を寄せる。 それでも耳が朱に染まったのがわかって、深行は思わず微笑んだ。

ああ…、胸に押し寄せる、声にならないこの愛しさはどうすればいいのだろう。

かすかに戸惑いながらも、ありったけの強さで、ただ、ただ、泉水子を感じた。
はじめて溢れだしたこの想いは、もう止まらない。
誰にも止められないほど、彼女がいとおしい。









幸 せ の あ り か



(みつけて、しんじて、だきしめて)


はなさないで。









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姫神憑きゆえに非凡な出来事に巻き込まれる泉水子ちゃん。
『泉水子』はいらないのだと思ってしまう時がくるんじゃないかなあ、そんな時に深行がこうして支えていたらいいんじゃないかなあ、という話。




09.10.24.aoi