「ねえ、相楽の弱点ってなに?」



真響は目の前の先輩に、きょとんとした顔を向けた。
大学受験に専念しているはずの元生徒会長は、なぜか生徒会室にいる真響の真向かいに座っていた。

「いきなりどうしたんですか、美琴先輩」
「だって、悔しいのよ。あいつ、花札も双六もポーカーもチンチロリンも強いときた」
「…学校で何やってるんですか、先輩」

さすがの真響も一瞬、言葉を失う。
後輩の呆れた目線もなんのその、美琴は眼鏡を直して佇まいを改めた。 その動作ひとつひとつが嫌みなくしなやかで、改めて才色兼備な女性だと真響はひっそりと息を呑む。

「ねえ、ない?あなたなら解ると思ったんだけど。優秀な相楽をちょっと出し抜いてやりたいのよね」
「でも同じクラスとはいえ見たことないですよ。弱点なんて」
「そんなわけないでしょう。まだまだ青い15歳のすることだもの、どこかに隙はあるはずよ」
「そうはいっても…私もずっと相楽を見ているわけじゃないですから。 とりあえず文化系と言いつつ運動もまあ出来ますし、顔良し、高身長、学年二位でモテる………あ、だんだん腹が立ってきた」
「でしょ」

誰もが思うであろう美点を並べていくうちに勉強での恨みを思い出したのか、淡々としていたはずの 真響の口調は途端に憎々しげになった。
美琴は仲間を得られた喜びからか、にこにことしながら真響の方へ乗り出す。 相手がそうノリノリなものだから、真響も調子に乗って毒がヒートアップしていった。

「大体いつも冷静にこなしていくのがまた腹立たしいったらないですよね」
「そうそう、それよ宗田さん」

いつでも取り乱さない妙な落ち着きが深行にはあって、そんなだから戸隠のあの夏に余計な労力を使うはめにもなったのだと、 真響は自分がしたことを棚に上げる。
美琴は、にやりと笑った。一瞬ふたりの目が合って、同時に頷く。
――お互いの意思は、この時ひとつになったのだった。



(相楽深行の鼻を明かしてやりたい)



めずらしく生徒会室にふたりしかいないこともあって、真響は業務をほっぽり出して考え始めた。
相楽深行の弱点とは一体なんなのだろう。一緒に食べることもあまりないから、嫌いな食べ物も知らない。
しいて言えば突発的な常識外の行動に慣れてないことだろうか。 自由奔放な真夏が傍にいると、どこか調子を狂わされているような感じはあった。
だが、深行はそもそも他人に入れ込まず、誰とでも適度な距離を保つ。 よって、真夏が例えなにか突飛な発言をしたとしても、彼は適当にいなして放っておくのだ。 弱点というほどうろたえるわけではない。

(うーん…やっぱりあいつってなんかロボットっぽいのよね)

泉水子のパートナーとはいえ、失礼な事を考えている真響だった。
その時、ん、と真響は突然ひらめく。そして合点がいったように大きく頷いた。
それを目にした美琴が、なに?と首を傾げた。真響はこれから言う事実がなんだかおかしくて、思わず笑いがこぼれてしまう。

「相楽の弱点はですね…しいて言うなら」
「言うなら?」





「泉水子ちゃんです」





神崎嬢の目が点になったのは、いうまでもない。

「………いやいや、ちょっと待って。そんな青春めいた答えが返ってくるとは思わなかったわ」
「でもそうだと思いますよ」
「ええ?…本当なの?あいつが女に溺れるタイプに思えないけれど」

困惑する美琴に、真響は自分の家にふたりが泊まりに来た時の事を話した。
もちろん、泉水子がリキュール入りのデザートで酔っ払ったあの事件である。

「で、その時相楽が」



「――神崎先輩?珍しいですね。どうなさったんですか」
「相楽。…ちょっと、宗田さんに相談があってね」

噂をすればなんとやら。怖いほど良すぎるタイミングで本人が生徒会室に現れたのだった。
真響は、まさに飛んで火に入る夏の虫だとにやりとする。
忍び笑いをするふたりに怪訝そうな顔をして執務を始めようとする深行に、真響は明るく声をかけた。

「ねえ相楽、知ってる?泉水子ちゃんラブレターもらったんですって」
「…は?あいつにラブレター?」
「ええ」

ふたりは、深行が、さっと顔色を変えたのを見逃さなかった。そこを一気に畳み掛ける。
兵の書もたっぷり実家の書庫にある真響はそういった術も心得ていた。

「泉水子ちゃん、お付き合いをオーケーしようか迷っていたわ。今頃、C組の教室かなあ」
「…だからなんだ」
「別に。ただ相手がタチの悪い奴じゃないといいわよねって話よ。私も相手の名前までは知らないもの」
「ふーん」

まあ俺には関係ないけど、と言って深行は書類に向き直る。
そこに、更に畳みかけるのは美琴だった。

「そうだ、鈴原さん、さっき昇降口の花壇のところにいるの見たわ。かっこいい男の子と一緒にいたわよ」
「あ、じゃあその人なんですかね、相手は。かっこいいのかあ、泉水子ちゃんやるなあ」
「ねえ。泉水子さんふらっといっちゃいそうね」
「あはは、言えてますねー」

ガタン
ぱたりと会話はやみ、生徒会室を無言が支配する。ふたりの目は深行を向いていた。
音を出した張本人の深行は立ち上がっており、苦渋に満ちたような、なんともいえない表情をしている。

「…これ以上そんなおしゃべりをするのなら俺はちょっと外に出ます」
「相楽、どこ行くのー?」
「…職員室」

ぴしゃん、とドアが閉まったあと、廊下を走る音が聞こえた。
小走りのようで余裕がないその音に、真響はくすくす笑う。美琴も最高の漫才ショーでも見せられたように、腹をかかえて笑っていた。
ははは、と美琴の楽しそうな笑い声が響く。

「先輩ってば、狸ですね」
「宗田さんに言われたくないわよー。告白なんて嘘っぱちでしょう」
「もちろん」

真響は頬杖をついて微笑んだ。
追憶の瞳で窓の外を見る。もちろん思い出すのはあの夏のことだ。

「あれ以上に凄かったんですよ、酔っ払った泉水子ちゃんに慌てふためく様が。相楽は、泉水子ちゃんの事となると感情を出さずにはいられないみたい」
「へえ、意外。…ひそかに骨抜きなわけね。ばれてないと思っているあたりが青いわ」
「同感です」

美琴も春先の出来事を思い浮かべ、微笑んだ。
直前まで涼しい顔をしていた深行の、血相を変え生徒会室を出ていったあの時の光景が、オーバーラップした。
なぜ、あんなにも慌てて穂高のところへ走ったのかはわからないけれど、たぶん泉水子に関しては理屈が存在しなくなるのだ。 考えるよりも先に身体が動いている。


『――彼に会った人間は、誰でも魅了されずにはいられないってことね』
そう自分が言ったあとの彼の表情を、今でもはっきりと覚えている。


「確かに、ああ言われて飛んでいくはずよねえ」
「さっきのことですか?」
「いいえ。まあ春に似たようなことがあったのよ。相楽もまだまだかわいいわね―――あ、バレたみたいよ、宗田さん」

実はこの生徒会室からは昇降口あたりまで広く学園内を眺められる。だから美琴は泉水子を『本当に』見かけたかのように言えたというわけである。
そんなわけで、泉水子を掴まえた深行が脱力し、怒り心頭にいたるまでも目で確認できるのだった。

「まあ、相楽に睨まれても痛くも痒くもないですし」
「言うわねえ。――ともかくありがとう。これで相楽をたっぷりといじめ抜いてやれるわ」

さらりと恐ろしい言葉を言い放つ美琴の笑顔は輝き、真響のそれも同じくらいに生き生きとしていた。
ひとしきり談笑しながら、ふたりは再び視線を窓の外に向けた。
花壇の前でふたりは向き合っている。
事情をまったく知らずにぽかんとしている泉水子に、深行は腕を組んで不機嫌そうだ。 騙されたと悟った彼は、馬鹿馬鹿しいとでも思ったのだろう、帰ろうときびすを返す。
だが、そんな深行に、泉水子は深行の服を掴んでなにやら言っていた。

やがて面倒くさそうにしていた深行は泉水子から目をそらし、花壇のそばにある低い塀に腰掛けた。そうしている傍で、泉水子は花に水をやり始めるのだった。
待っていてくれることに対してか、泉水子はにっこりと笑う。
きっとありがとう、と言っているのだろう――それに対して、深行も少しだけだけれど、微笑んだから。


…それは驚くほど柔らかくて、見た者が思わず赤くなってしまうほど綺麗な笑みだった。
誰にも真似できないふたりだけの空間が、確かにそこにある。








「…なぜかしら。やっぱり負けているような気がするのよね」
「…わたしもです」









あれが愛と云うんだって、



(誰にもさわれない)(ふたりの絆)











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t. joy


2010.11.20.aoi