「あ、相楽くん。見て…この花、綺麗だね」

ふとそう言われて花を見た時の衝撃に、深行は愕然とした思いだった。
自分を見上げる無垢な笑顔に――ああ、そうか、とまるで時が止まったような心の中で、ゆっくりと思う。
それは、ありふれた花だった。 深行なら間違いなく見向きもせず、ただ通り過ぎるだけのその存在だった。けれど、泉水子は確かに目に止めたのだ。
どんな小さなものにも、それに宿る価値を見出す女の子なのだと――そう意識したとたん、何かを失ったように足元から崩れてゆく。


やっぱり。おまえはそうなのか。


雪が降りはじめて空気も身も心も、凍えるように冷たくなっていくけれど、泉水子の微笑みだけが春を彩る。
あまりにも場違いで、到底この状況に馴染んでいない。馴染みはしない。
その花を美しいと言う心が、陽だまりのように何よりも尊くそこにある。

理解してしまった。泉水子と自分との違いを。雪政が、到底釣り合わないと、あまつさえ『小姓』と言い放つその意味も。
決して穢れてはならないとばかりに山の奥底で育てられた、神聖で純粋な泉水子。
鈴原泉水子が『姫神憑き』と言われるゆえんに、他の女の子と違った一線を持っていることは知っていた。
だけど、どこかでたかをくくっていた。あまりにも何もできない女の子だったから。 『姫神憑き』であろうと、ちょっと引っ込み思案で世間知らずな、ただの十六歳なのだと信じきっていた。

けれど、こんな思いもよらない形で、決定的な違う「なにか」を悟らされるとは思わなかった。
綺麗な言葉遣いをすること、背筋が伸びていて物腰が流麗であること、たおやかで可憐な微笑みをすること―― そうではなく、何気ない花でさえその瞳には輝く、その珍しすぎるほど純粋な心が、 まるで箱庭のように…圧倒的に守らなければいけない「なにか」なのだと。
彼女の傷も汚れも彼女を害するものすべて、代わりに引き受けるために、守り抜くために――自分がいるのではないのかと。 目にするものすべて曇りなくまっすぐ見つめるその瞳が、失われてはいけない。

もう、安易に触れてはならない気がした。そう、彼女は包み込むように大事にされるべき存在なのだから。


「どうしたの?顔が真っ青だよ…」


慈しむような視線を花に向けていた泉水子は深行を振り返り、息を呑んだ。呆然としたその声は、やけに空洞な深行の心に響いた。
深行は、泉水子を、そして他ならぬ自分を安心させるかのように、口元に小さく笑みを浮かべて、再び歩き出した。
寒々しい空気に震えるように白い息がひとつ口元を覆うマフラーの中にそっと消えて、心に刻みつけるように呟いた言葉も、また。







――いいよ。おまえはそのままでいい。いま、やっとわかった。









君は冬を知らない、知らなくていい



(身を切るような孤独さえ、きっとしらない)








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こんな風に、彼女との違いを思い知るなんて。


2010.12.12.aoi

t. joy