ひらひらと飛んでいってしまったと泉水子が気づいた時には、リボンははるか彼方をふわふわ浮かんで裏庭の木に吸い寄せられていくところだった。
驚きつつも、教科書を持ち直してリボンの元へ駆けてゆく。 けれど身体能力に全く自信のない泉水子をからかうように、それは木に留まらず更に校舎の裏へと逃げていった。
一瞬、愕然とするものの、慌てて追いかけた。 白いレースが傷ついたリボンなど見たくはなかったし、真響から初めてもらったプレゼントは、泉水子にとって大事な宝物だったからだ。
そしてようやく追いついた時、それは意外な人物の手に収まっていた。 息を吐きながらその人物を信じられないとばかりに見つめる。
本当は見た瞬間逃げたかったけれど、あいにくリボンは、ほっそりとした白い手の中にある―― 諦めることなどできないけれど、大切なものが憎い相手に汚されているような気がした。 異性ではあってもどこか繊細なその白魚のような手に、泉水子は戦慄する。
「…今日はリボンを結んでいたんだね、鈴原さん」
その現場を見つけたのは、宗田真響だった。
高柳一条との対面を目にした真響は一瞬目を見張り、そして高柳の手にするものに目線を移して顔をしかめた。 ずかずかと歩み寄って問答無用とばかりにサッと奪い取り、何も言わずに泉水子の手を引いて歩き出す。
高柳はその様子をうっすら微笑んで見ているだけだった。
しばらく無言だった真響がふいに立ち止って、振り返った。少しだけ怒ったような困ったような顔に、泉水子は何も言われなくても申し訳なかった。
「まったく…泉水子ちゃん、どうしてあんな所にいたの?」
「あの、リボンがほどけて風に飛ばされていったものだから」
「追いかけて高柳と鉢合わせしたってわけね」
後を継いだ真響にあっさりと真実を言い当てられて、泉水子は小さく肩をすくめた。
真響にしては珍しく乱暴な奪い返し方だったとそっと思う。もしかしたら、泉水子と同じように感じて思わずあんな行為に出たのかもしれなかった。
「人気のない処はあまり行かないようにした方がいいよ。何が起きるか判らないから」
「あの…そういえば真響さん、どうしてここに?」
真響は、くすっと微笑み、楽しそうに告げた。
その言葉は些か驚くものだった。
「相楽に頼まれたのよ。できるだけ泉水子ちゃんから目を離すなってね」
「…でもそれなら真夏くんの方が適任では?クラスも同じだし」
「さあ、それだけは嫌だったんじゃない。他の男に好んでエスコートを頼む男なんていないもの――相楽も少なくとも無能ではないみたいね」
「…無能って?」
何を言ってるかさっぱりわからない。真響は泉水子の疑問に楽しそうに笑うだけで、深くは説明しなかった。
まあ男としてってところかな、と歌うように告げて、泉水子を戻るように促す。
仕方なく泉水子も素直に頷いて、来た道を再び戻り始めた。
そして道中、真響と何気ない会話をしながらも、先ほどの高柳の言葉が頭にこだまする。
『僕のもとへ来た方がいい。そこにいても…相楽と一緒にいても何の意味も為さないよ』
『自分を成長させたいと、役立ちたいと思うなら僕のパートナーにならないか』
――高柳の言葉は、正直泉水子の心を揺らがせた。的を得てはいた。
確かにこのまま何も出来ない自分でいたくはない。深行を巻き込むことで今以上に嫌われるのもごめんだと思った。
それでも、と、あの透き通って不健康にさえ見える白い手を思い浮かべる。 何も感情を宿さないあの奇妙な瞳に、彼の傍にいれば自分が歪みそうな錯覚は、間違ってないと思う。
不安でいても、自信が持てなくても、それでも掴んでいたい手はもっと大きくて温かな手だ。 心ごと包んで支えてくれるような優しさを、口とは裏腹にいつも伝えてくれたあの手を裏切りたくはない。
あの手が傍にいたからこそ出来たことを、忘れたくはない。
「…ごめんね、高柳くん」
心の中でそっと呟いた。
――この先何があるかはわからないけれど。
高柳に永遠に心を許すことはないと決めていたとしても、いつかはほどける一瞬があるかもしれない。 もしかしたら深行以外の手を温かく思う明日があるかもしれない。
それでも泉水子は、ぶっきらぼうでもいつも支えてくれる、あの手を選びたかった。
七 色 の 未 来
(どんな明日を描くかは、あなた次第)
(どんな明日を描くかは、あなた次第)
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可能性がたくさんある中で、自分が何を選ぶかは大切なこと。
2011.01.15.aoi