「――へえ、鈴原でもわかるんだな」
「ちょっと相楽くん…馬鹿にするのはやめてって言ってるでしょう。私だってそのくらい知ってるよ」
「悪い悪い」
「全然心こもってない…」


真夏が偶然廊下で耳にしたのは、こんな会話だった。
その声の方向からすると、自分の左壁の向こうにいるらしい。 そして声の主も悟った真夏は深行に飛びついて驚かせようとしたが…やめた。
真夏の唇が弧を描く。こんな機会はめったにあるものではない。 壁からこっそり覗いて窓際に佇むふたりを発見する。
再びサッと隠れ、しばらくこのまま会話を聞いていようとにやにやした―― これを世に言う盗み聞きと知った上で。



――二分後、真夏は顔をしかめていた。
どうも深行は意地っ張りとしか言いようがないと、鈍感な真夏にも呆れるほどに伝わってきていたのである。
その証拠に、二人の会話は今やヒートアップしていて、喧嘩めいたものになっていた。

「おまえ、宗田にばかり構わずもっと色んなひとと付き合えよ」
「何それ。どうして相楽くんにそんなこと言われなくちゃいけないの」
「生徒会やSMFに入ったことだって、いきすぎてるだろ。ただでさえ相部屋なんだから」
「そんなの、相楽くんに関係ないじゃない」
「関係あるだろう。パートナーだし」
「パートナーだからって何言ってもいいわけじゃないでしょう」


(うーん…いらないことは言うくせに…)

腕を組んで思わず唸りそうになる。
――真夏もそれは耳にしていた。泉水子は真響のお飾りだとか金魚のフンみたくまとわりついてるだとか、悪意たっぷりの噂は絶えない。
高等部からの珍しい編入生なだけに、突然真響と一緒にいるようになったのでは、余計、羨望と嫉妬の的なのだ。 女性の感情はよくわからないと真夏は思う。
本人の耳には届いていないのが幸いで、おそらく真響が、ひっそりと水面下で動いているのだ。 こういう時の真響は怖いと真夏は知っている。
深行もすべて知っていて、心配だから言っているんだろう。
ただ、正直に言わない上に泉水子を傷つけまいと噂のことを口にしないから、今こんなにもややこしくなっている。
おそらく、ただの煩い父親みたいになっているはずだ。その証拠に、泉水子の顔が「うんざり」と言っている。…哀れシンコウ。
肝心なことは言えないなんて、不器用にも程がある、と真夏は息を吐いた。
元来思ったことはストレートに言うたちの真夏には、さっぱり理解ができなかった。

(シンコウってもしかして俗にいうヘタレ…?ていうか、過保護?)

優秀で人との付き合い方にも長けている深行が、なぜ、と思うのだ。
真夏は馬基準にものを考えるゆえに、よく真響に怒られるけれど、深行は至って“普通”なのだ。
そうして首を傾げている間にも、ふたりの言い争いは続いていた。 どうやら果てがないらしく、そろそろ出ていこうかと腰を浮かす。いい加減、仲裁が必要だ。

「別にいいもん。私は真響さんと仲良くできていれば十分だもの」
「そんなに女に引っ付いてどうするんだよ。宗田がすべてじゃないだろ」
「変な言い方やめてくれる。普通に大切な友達なだけだよ」
「何も変な言い方してないだろ」
「してるよ。前も言ってたよね、気持ち悪いとか。…でも何も真響さんだけじゃないもの、真夏くんもSMFの人も良くしてくれるし」
「………」
「こないだなんて真夏くん、調理実習で作ったクッキーを美味しそうに食べてくれて、また作ってよって言ってくれたの。 あ、あと両国先輩にもあげたらすごく喜んでくれて、また作るって約束したし」
「………そうか」
「?そうよ」


(………)

真夏は上げかけた腰を静かに下ろし、心の中で沈黙した。
泉水子ちゃん…飛び火がこっちにくるからやめてくれるかな…。
男性陣の心中など露知らずの泉水子は、だからいいもん、と強気な態度である。 それに対して深行はどんどん不機嫌になっていくのだった。

「クッキー焼いたなんて知らなかったぞ」
「え、真響さんからもらってないの?」
「なんで宗田からもらうんだよ」
「え…だって同じクラスでしょう。だからてっきり貰っているのかなって…」
「そんなわけないだろう。……鈴原は、パートナーに振る舞うという考えはないわけだ」
「!?な、なにそれ…そんなの…、深行くんが昼休みどこかに行っちゃってるからでしょう! 放課後も生徒会室にいなかったし、もう、こんな時だけパートナー枠を振りかざさないでよ!」


(――え)


真夏は目を見張った。
泉水子は自らの口から溢れた、たくさんのボロに気づいていないらしい。 それどころか完全に怒ってしまい、涙をうっすらと溜めて深行を上目遣いで睨んだ。
深行が一瞬たじろいだのに、真夏は気がついた。
おい、と深行が声をかけるが、泉水子はスカートを翻し、向こうへ走り去ってしまう。



辺りは静まり返り、深行は行き場のない手を口元にやる。
胡乱そうにひそめた眉とは裏腹に、呟かれた声は素直なものだった。



「…… 一応、くれようとはしてたのか…」



真夏は呆然と目の前の光景を見つめた。自分が目にしているものが確かなのか、信じがたい気持ちのまま。


(シンコウ……心なしか赤い、ような…)


あの、優等生で自らをコントロールすることに長けている深行が?
信じられない気持ちだった。
しばらく窓辺で予想外の羞恥と闘っていた深行は、やがて泉水子と同じ方向へ走り出す。
追いかけるのだろうか。そして、捕まえて、なんて言うんだろう。
深行の後ろ姿をこっそり眺めて、真夏は頭をぽりぽりと掻いた。
なんだか変にこそばゆい。馬に乗ってスッキリしようと真夏もまた、ふたりとは逆の方向へ走りだすのだった。











――後日、泉水子ちゃんから聞いた。
どうやら彼は「今度は俺だけに食わせろ」って言ったらしい。
その言葉にニヤニヤ笑ってたら、シンコウはまたその事実を俺が知っていることに不機嫌になる。


…まったく、シンコウはヤキモチ妬きだ。今からそんな独占欲が強くてどうするのさ?










初 恋 ワ ル ツ



(くるくると回る、ふたりの気持ち)







t. runa.

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PCに眠っていた作品その2。
どうしても深行くんは付き合ってないくせに独占欲丸出しになってしまう。


2011.03.20.aoi