――誰か泣いてたか?鈴原、とか。


それは珍しく居眠りした深行が発した、起き抜けの一言だった。
真響は、もう帰りのHRは終わったと声を掛けたのだから、突拍子もない上に噛み合っていない。 珍しく、はあ?と呆けた声を出してしまう。
戸惑う真響を置いて、彼はその反応で違うのだとさっさと納得したらしい。 ならいい、と目をこすって、帰り支度を始めた。
ちょっとちょっと。なんの解決にもなっていないんだけど。
真響はつっこみたかった、なぜそんなことを言い出したのか。 もしや、泉水子の、夢を見たのだろうか?――いや、それにしても違和感があるのだ。

(誰か、泣いてるか、ですって?)

彼は他人のそういう機微を気にするひとだっただろうか。
真響は、深行の様子をじっくりと呑み込むように眺める。 そうしている内に、たったひとつ、自然と口からぽろりと溢れ落ちていた。


――相楽は、他人の涙なんて、どうでもいいんだろうと思ってた。


その一言に、深行は机の上を片付けていた手を止める。 思いがけない彼女の見解に目を見張ったあと、眉間の皺が深くなった。
真響は、その反応に言わなくてもいいことを言ってしまったと後悔しかけた。
その時、深行の目は鞄にしまいかけた教科書から窓の方に向けた。 空を見つめるそれは、いつになく微睡むような、思い返すような、遠い瞳をしている。


――…確かに、他のやつの涙なんてどうでもいいけど。
なぜか、鈴原のはよく覚えているな。…あいつ、昔から、よく泣いてたから。



「……」


彼が目を伏せるようにして顔を戻しても、真響にはわかっていた。 隠したはずのその顔は、どこか和らいでいる。

(…本当に、泉水子ちゃんは特別なんだ…)

もしも彼女が彼の前で泣いたとしたら、彼はきっと、うろたえる。 そして、あらゆる手を使って慰めようとするのだろう。
ただの幼なじみであっても、素直じゃない男は心の奥底で気にしているのだ。気にしているから、夢に見る。
泉水子が何事もなく、幸せであるかどうか、を。


そっと、黒板に向けた顔を、片手で覆った。


――他の誰でもない彼女の涙を、心に留めることが彼の愛だとしたら…なんてわかりにくいんだろう。



心底深いため息をついたことなど、彼は知る由もない。







色づきはじめたこの愛に



(ただ幸運を祈る)












2011.09.11.aoi