泉水子に手を出せず、他の女で欲を満たす深行(+5)





『相楽くんって、いつも違う誰かのこと考えて抱いているでしょう』

情事ゆえの女の甘ったるい匂いと煙草の香りとともに思い出すその台詞は、痛いところをついていた。
深行は白い息を吐いて、空を見上げる。
午前三時半、ビルが並んだ街並みはまだ薄暗い。
女を抱いた夜はなぜかひどく疲れる。あ、ああ…、とせつなく喘ぐ声音が、どこかあの震える少女に重なり、彼女を啼かせている気分になった。 行為が終わっても隣にいる女の快楽に堕ちた、そのいやらしい表情に、彼女の面影を重ねてまた興奮するからかもしれなかった。
彼女を忘れるために他の女に手を出しまくっているというのに、終わればよりいっそう彼女が濃く鮮明に浮かび上がる。嫌な悪循環に加えて、今夜の指摘だ。 いつもよりいっそう気だるく、それでもやはり眠れなくて、今日も女といた部屋を出て、ひとり街を歩く。大して情も移らない女と朝を迎える趣味はない。
相手はいつも大人の女性で、強いて言うなら共犯者だった。計算も嘘も何もかも見抜いてなお、誘いに騙された振りをしてくれる。 熱に煽られ欲情はしても、所詮ただの男と女で、その中に愛はないとお互い認知ずみだ。 深行はさまよう行き先のない愛と欲望をぶつける先を探して夜に繰り出しているのだから、愛だのなんだのが芽生えるはずもなかった。
そんな日々が、もう三年近く続いていた。 泉水子と初めて出逢ってからおよそ二年、雪政の手によって彼女を守る立場から決定的に弾き出されたその後……恋に落ちていたのだと、遅すぎた自覚の瞬間から今まで。


振り返れば、まだ十代だった深行には怖いものなどないはずだった。 自分の未来に不安は覚えても、並みならぬ自信を持って思い通りに動けると信じていたのは、今思えば少年ゆえの無邪気さに近い。 姫神憑きの彼女には結局自分しかいないのだと、ずっと彼女がそばにいる日々が続くものだと信じて疑わなかった。
どこにそんな自信があったのだろう。今では不思議に思う。

『おまえがなれるのは、せいぜい下僕だよ。泉水子を守るのは深行には荷が重い』

雪政の言葉は呪いのようなものだ。 深行と泉水子が近づけば近づくほど、釘を刺すように目の前に現れて深行たちをかきみだし、気がつけば姫神ごと雪政の手の中だった。
その彼が吐く言葉はすべて頭にこだまして、深行を縛りつける。泉水子がただの女の子ではなく、深行もまた気安く彼女を手に入れていい立場にはないのだと。
いつでも雪政の支配下には置かれまいと抗って、彼を覆そうとする憎しみにも似た強い思いは今も変わらないというのに。 自分が雪政の思い通りに動いていると判って腹立たしく思っていても、結局、彼は絶対の存在だった。
聞こえないふりは簡単だけれど、それでは済ませられない因縁の血、自分では到底施しようのない深く暗い歴史までもつきまとう。
受話器を通して、彼女の柔らかい、囁くような声を聞いていたいと思うこの瞬間でさえ、そうだった。
もしかしたら泉水子も眠れないのかもしれない。いつも朝がくる前に、心細そうに控えめに、彼女は電話をかけてくる。

『深行くん、』
『こないの…?』

目線を下に落として、つれない深行を振り向かせたくて、必死に不安を押し込めて話しているだろう。
そんな姿が想像できて、深行は携帯電話を握りしめる――でも、会いになど行けない。 心を重ねることができたとしても、安易に飛び越えてはいけない一線なのだ。彼女をとりまく世界を、流れを大きく変えてしまう。

『お父さんが久しぶりに帰ってきたの。深行くんに会いたがってるのよ』

自分が、とはいわない彼女のけなげさに心が疼いて痛む。だけど。どれほど会いたくてたまらなくても、行けない。 泉水子の声がどんなに深行の心を締め付けても。行ってしまったら最後なのだ。美しく成長した彼女を手にしないで、我慢できる自信などない。
決別の日、泉水子の瞳から目をそらした時のように。

――深行くん、行っちゃうの。
――ああ。でも大丈夫だろう、鈴原には和宮がついてるし…雪政もそばにいるよ。
――…でも、だけど。私…わたし、が――

濡れた瞳で、それでも出逢った頃よりも強くなった眼差しで、深行を悲しげに見上げていた。その彼女から目をそらして、気付かない振りをした。
彼女が言いたかったこと。聡い深行は察して、胸になにかが淡くこみ上げてきても。それでも泉水子を突き放した。


(わたしが、そばにいてほしいのは)


あの時の彼女を思い浮かべては、いますぐ駆け寄りたい衝動に襲われるのを、泉水子はしらないだろう。昔も今も深行は余裕がないことも。
しらない彼女は、電話の向こうで、いつも最後に無理矢理作った少し明るい声で解った、と言う。そして、またね、と。 また次に繋がるよう、ほんの少しでも声が聴けるように。
それがわかるから、いじらしくて愛しいと思うのに。

「…悪いな」

そんな風に、中途半端に優しい言葉もかけてやれないまま、携帯電話のスイッチを切る、いつも。 昔よりはずっと解る。この行為と言葉の拒絶に、彼女がどれだけ傷つくかなど。最低な男であることも自覚していた。
深行は歩みを止めて、眉を寄せて、目をきつく閉じた。
ツーツー音しか鳴らない電話の向こうで、泉水子はきっと泣くだろう。 泣かせることしかできないと確かに胸は痛んでも、それでも踏み出せずに、深行は逃げ続ける。他の女に欲を吐き出す虚しさ、己の浅ましさに嫌悪感を覚えながら。
ともに学園で過ごした頃のように、たやすく彼女に触れられないのなら、いっそ願う。彼女が他の男と幸せになってくれたらいいのに、と。
生死さえ孕む宿命と呼ぶべきパズルは、純粋に愛に生きるには複雑すぎた。彼女とともに生きるためのピースが見つからない。


遥か遠くのビルの隙間から、哀しいほど輝く朝陽が目に映った。










銀 色 の 夜 明 け



(それでも馬鹿みたいに待っている)(いつか、と)








t.カミヒザイ
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未来捏造話。
彼を深行くんと呼ぶのが許されてる女の子は泉水子ちゃんだけだといいな願望を一行目にこめました(そこかい)

この話のあとは、きっと泉水子ちゃんが強気に出ます。一巻の名言『何言ってるの深行くん、それでも優秀なの』再び。
泉水子ちゃんは誰に一緒にあらゆる問題と闘ってほしいかといったら、それはもう深行だと思うんですよね。 いつのまにか絶対の信頼を置いちゃってる。そんなひとに背中を向けられたらすごく不安で寂しいでしょうね。
で、ついに『もう馬鹿じゃないの、深行くん。私は深行くんと生きる覚悟なんてとっくにできてる』とか 怒って泣きながら気持ちを吐き出したり。成長した泉水子ちゃんは周りに認めさせちゃうパワーもあるような気がします。 深行は目をぱちくりしつつも、惚れ直したらいい^^

ちなみに私は一巻の名言の場面で大爆笑いたしました。あれはさすがの深行くんもヘタレだと怒鳴られたも同然だよね! 肝心なところでKYっぷりを発揮し、今のおれには無理とか冷静に判断するあたりヘタレ以外の何物でもありません。 そんなこと言ってる場合じゃないよ泉水子ちゃんを守れよ!と本気でつっこみました。
今後のふたりの力関係が見えた、記念すべきシーンです。やはり荻原作品は女が強いんですね!笑
いいと思います冷静沈着な俺様がたったひとりの女の子には頭が上がらなかったり動揺させられたりとか!これなんて楽園?

これからは、普段の彼女からは考えられない強さが出た時、しあわせな道につながるんじゃないかなあ、なんて思います(和宮の件といい)




09.10.24.aoi