「わ、暗い」
「これはサトも叫ぶわ」
不気味なほど静かな暗闇の中で歩を進める。 真っ暗というほどでもなく、ほのかな灯りが所々にあって歩きやすいといえば歩きやすい。
それから途中途中、ゾンビだったり水滴だったりこんにゃくだったりと色んなものに襲われたが、 叫びつつもむしろ楽しむ勢いでかわしていく。「肝試しに近い」と内容の物足りなさを口にできるくらいの余裕はあった。
「あれ?階段?」
「上るみたいだね。そっか、これ二階まであって、しかも出口に向かう階段も別にあるからこのお化け屋敷でかいんだ」
「結構お金かけてるね」
「中身はかなりちゃちいけどね」
「にゃはははっ」
製作者が聞いたら怒るようなことをさらっと言いながら階段を上ってゆく。
やがて一室のドアにぶつかり、ギイ、と嫌な音を立てて扉を開けた。
大きな大きな部屋。低くクラシック音楽のようなものが流れていて、暗闇の中に薄暗く光る大きな窓がポツンとある。 そのぼんやりと青く光った窓を見て、杏子は息を呑んだ。


「・・・・」


どこか異様な雰囲気。 まるでこれから殺人鬼か幽霊が後ろから迫ってくるというかのような感覚に襲われる。 時折、蝋燭の火のようにゆらりと歪むように響く音楽が、ふたりを不安にさせるようにじわりじわりと身体に染み込んでゆく。 暗闇の中で研ぎ澄まされた聴覚が、音に世界を支配させていた。
―――ぞくり。
背筋を悪寒が走り、恐怖で凍ったように身体が動かない。

「イ、イバちゃん・・早く行こ・・?」
「・・うん・・」

ゴロゴロ・・・。ピカッ、ガシャーン!!!

「わーーーーー!!!!!?」
突如、盛大に雷が轟き、部屋中が白く光る。
光と爆音に硬直状態が解け、悲鳴を上げたその勢いでミケは後ろに下がり、 ガタンッと派手な音を立てて壁にぶつかった、その瞬間。
「ニャーー!?」
ガタンッ、ゴロゴロゴロゴロ、
「わあぁぁぁぁぁ」
「っ、ミケーーーっ!?」
急いで声がする方向に向かうがもはや手遅れ。壁の向こうにミケは影も形もなく消え去っていた。
フェードアウトしていく叫び声を聞く杏子の顔からは完全に血の気が引いていた。 再び固まったまま隠し扉を呆然と見つめる。
その時、フッと風が吹き、ローソクの火が消える。
「な・・っ」
どうしてよりによってここで!?
いっそう闇が濃くなり、激しい焦燥感に襲われる。
ふと気がついた。



――待って。どうして風が吹くの・・?



「・・・・」
まさか、まさか。
気づいてしまったことに激しく後悔する。ローソクを持つ手がかすかに震える。
とりあえず戻るしかない、ミケを探さなくては。
震える足に鞭打ち、なんとか壁伝いに入り口に戻ってドアノブに手をかける。
「―――っ!?」
ガチャガチャ。ガチャガチャガチャ!!
「何で開かないの・・!?」
そんな馬鹿な、いくらやっても開かないなんてありえない!
その時、ふっと冷たい空気が流れた。


「・・・・」


嫌な予感、がする。
おそるおそる、振り返って気がついた。
大きな青く光る窓。そこに照らされて見えるのはベッドの端。広くて気がつかなかった。
――、いま、なにか動いた・・・?
どくんどくん、と心臓の鼓動が速くなる。落ち着け落ち着け落ち着け、

その時、ギイ、と音を立てて、黒い何かが、ゆっくりと、起き上がった。



ギシッ、

「・・・・!」

ひた、ひた・・・・

「・・・・っ、」

・・・ひた、ひた・・・


近 づ い て く る。


逃げようと横に壁に沿ってなんとか動く。
が、確実に自分の方へ向かってくるものの姿に、恐怖感は限界まで膨れ上がった。
「、や・・っ!いや、こな、い、で・・っ」
悲鳴が出ない。頭の中で警告音が絶えず鳴り響いている。
――これは、やばい。


「・・ほ、し、い・・」

「――――!」


やばいやばいやばい――!
急がなくちゃ、急いであそこに、あの出口のドアに!
身体中にあふれる悪寒が杏子を走らせた。 追いかけてくる!
ドアノブを手探りで必死に探す。
どこ?早く、早くしないと―――

ひた、ひた・・

振り返ってヒッ、とひきつった悲鳴をもらす。 黒い物体は静かに、大きく迫っていた。 暗闇の中で、にやりと口が笑ったのが見えた気がした。
ゆらりと手が杏子に伸ばされる。
やめてやめてやめて誰か助けて――――――


「いや――――!」


ガンッッ、バターン!!!

「イバちゃん!?」

ローソクの灯りとともにキューはドアを蹴破らん勢いで飛び入ってきた。
杏子に襲いかかろうとしていたものの動きがピタ、と止まる。 キューに向き直ろうとゆらりと動きはじめ、それをかわすようにキューは 真っ先に杏子のもとへ駆け寄り、固まっていた杏子の腕をグイッとつかんで出口のドアを飛び出す。
決して振り返らず、廊下や階段をわき目もふらず猛スピードで走り抜けて行く。

ダン!とドアを開けて出るとたちまちむわっとした熱気に包まれた。広がる視界が眩しかった。
はあ、はあ・・と二人、荒く息を吐いてその場に倒れるようにへたりこむ。 あの冷たい空気がどこかへ溶けて消えていくのを感じて、杏子はやっと生きていると思えた。
係員を含む周りのひと、サトとマモルがそのただならぬ空気を読み取ったのか、駆け寄ってくる。
寝転んだまま息を吐きながら、キューが杏子をじっと見る。
キューに指で頬に触れられて、初めて杏子は自分がぼろぼろと泣いていることに気がついた。
「イバちゃん…大丈夫か?」
大丈夫といえる余裕がなかった。杏子はふる、ふる、と小さく首を横にふる。
触れられて心は熱を持って温かくなり、余計に涙がこみあげてきた。安心感がどっとあふれだす。
「・・ころ、されるかと・・・・おもった・・」
うん、とキューは神妙にうなづき、ゆっくり起き上がる。 そして杏子の頭に手をやり優しく撫でた。
ざわざわと周りがさざめく。
「おい・・お化け屋敷だろ?」
たかが、というような響きを持った戸惑いの声に、杏子はゆっくりと顔を上げた。 濡れた瞳で、自分を囲む人々を見つめる。やがて嗚咽を押さえて言った。



「二階にいたのは―――――人間じゃ、なかった・・・」




それからはもう賞金どころではない騒ぎとなった。
杏子の言う通り、二階の部屋には人を使った仕掛けはなく、扉が開かないのも火が消えたのも仕掛けではなかった。
おそらく、ミケが隠し扉にひっかかり一人になったことが、本物を出す要因の一つになったのではという。
杏子はぐったりとして公園のベンチに座り、隣でキューが杏子を介抱している。 時折背中や頭を撫でてさすってくれるのが疲れきった杏子には心地よかった。
ミケは転がり落ちたあと、一階の壁から出て、偶然そばにいたクロに拾われ、 事情を聞いたキューが血相を変えてすぐさま二階に向かったのだという。
イバちゃん一人にしてごめんねとミケは泣きじゃくっている。
杏子は空を見上げた。 あの悪夢のような数分間を過ごしたあとでは、信じられないほどに明るく済んだ空が広がっていた。
ポン、ポン。
隣を見れば、心配そうな表情のキューの顔がすぐそばにある。

「・・キュー」
「なに?イバちゃん」
「ありがとね。・・本当に、ありがと・・・」

キューが杏子の頭を胸に押し当てる。 耳元で聞こえるキューの声は、同じように涙で震えていた。

「ごめん、もっと早く助けられれば良かった」
「――ううん、」
「怖かっただろ?」
「・・・・」
「イバちゃん?」
「・・・誰かが、・・キューがきてくれなかったら・・」
「・・うん」
「――そう思うと、・・・・っ」
「・・イバちゃん、ずっとついててやるから。思いきり泣いて忘れろ」
「・・ん・・っ」
「―――無事で、良かった・・・」


心から安心しているその声に、杏子の胸はぎゅうと締めつけられて苦しくなる。
触れるその優しさに、止まることを知らず大きくなる恋心に、自分をそうさせるキューに。
安心感も恐怖感も、嬉しい気持ちも好きと思うような気持ちもすべてごちゃまぜでよくわからなくなって、 ただただ、キューの服を強く握りしめた。




びゅう、と強い風が吹く。
いつのまにか太陽はひっそりと姿を消して、空は雲に覆われていた。




嵐が、くる。夏の終わりを告げる雨が静かに降り始めた。












夏 空



(終わりのはじまり)





* 影

08.5.11.aoi