「おまえさ、イバちゃんのこと可愛いって思う?」

すべては黒須遥による、この問いかけからはじまった。





事の起こりは『暇なら公園に来いよ』という、午後十一時のちょっと珍しい、遥による呼び出しだった。
何も知らされず、とりあえず来てみれば何故か杏子がぐったりしている。 着いた途端にその光景は心臓に悪く、一瞬青ざめたが、ただ酔って寝てるだけという。呆れつつも安心した。
お互いの用事からの帰り道にばったり遭遇し、公園で軽く二人で飲む事になったらしい。
ところが、杏子を驚かせようとこっそり一休に電話したものの、絶妙なタイミングで一休が来る前に夢の中へ行ってしまったとのこと。 杏子の足元には空き缶が五本転がっていた。
はあ、と一休は安堵の息をつき、目の前の状況に、はたと気が付く。
杏子はベンチに座る遥の膝に頭を預け、横になって寝ていた。遥は片手で缶ビールをあおりつつ、杏子の頭に手をやっている。
そうして眠る杏子の赤い頬をそっと撫でる。その指も、微笑みを口元に浮かべて杏子を見つめる顔も、優しく慈愛に溢れていた。

「・・・・」

なんだこの状態。
初めて見る、それも恋人同士のような光景にあっけにとられ、そして数秒後、微かに顔をしかめた。 胸に巣くい始める黒い感情に首を傾げつつ、遥の持つ優しさの意味は兄弟愛に違いないだろうと、無理矢理自分を納得させる。
一休は渦巻く気持ちを振り切るように、息をつきながら小さく頭を振った。
その暗闇に隠れてしまいそうなほどに小さすぎる機微を、遥は見逃さなかった。 一休に見えないよう、缶を口にしながら小さくにんまりと笑う。
そして。あの冒頭の台詞が飛び出て、一休は目を剥くことになるのだ。





「・・・えっ!?ああ・・・うん、まあ、思う、けど・・・?」

予想だにしない台詞に遥の意図が読めず、しどろもどろに答える。
遥は、妖艶な笑みを口元に浮かべた。 側に立つ公園の灯りが、遥の端正な顔立ちを妖しく照らす。男から見ても凄みのある美しさに、一休は思わずたじろいだ。

「そ?ならいーけど。・・・でもさあ知ってる?」



布団の上のイバちゃんはもっと可愛いよ?



・・・え?ちょっと待って、何の話?何言い出してんの、この人・・・?

「あ、夜の話ね」
「・・・・・・・・はあっ!!?」

たっぷり間を空けて素っ頓狂な大声を出した一休に、遥はしー、と口に人差し指を当てた。 今はもう夜中に近い時刻なのだから静かに。そう言っているのだろうが、一休にとってはそれどころじゃない。 ドクドクと激しい動悸と冷や汗が流れる。まさに寝耳に水だった。それは、つまり。二人はそういうことをする仲ってこと、で。
遥はそんな一休の反応を楽しんでいるようで、おかしそうに笑いながら、つらつらと滑らかに言葉を紡ぎだした。

「へー、キューでも知らないんだ?それは嬉しいね。・・・夜のイバちゃん、超イイよ?」
「な、!」
「いやーあの時のイバちゃん、ほんっと可愛かったわ。 やさしくするからって囁いたら、今以上に真っ赤になって慌てて。ふざけないでって涙目になってんのが色っぽくてさ」
「・・・・・・」
「でもそう言う割には、しっかり俺にしがみついてるんだ。それがあまりにも可愛いから、めちゃめちゃにしたくなるっていうか。 強がるくせに涙目で顔真っ赤とか男の征服欲をそそるんだよね」

「・・・それにイバちゃんって肌白いし柔らかいし・・・結構くせになりそうなほど気持ちいい」

―――それも知らない?
にっこりと笑って問う遥の声はもはや一休の耳には届いておらず、汗にまみれた戸惑いの思考でいっぱいだった。
・・・二人ってそういう関係なわけ?キスとかあんなこととかアハンウフンなこともすでにしちゃってる仲なわけ・・・!?
混乱したまま固まる一休に反して、遥はいつもの飄々とした風情で笑うだけ。何を考えてるのか、狐のような目からは何も読み取れない。

「・・・ま、そんなわけでね。イバちゃんを可愛いと思うのはお前だけじゃないよって話。頑張ってねー」
「は?え、ちょっと、・・ちょっとハル兄ーーー!?」

一方的に用は済んだとばかりに清々しい笑顔を放ち、諸悪の根源は爽やかに退場する。 止めに行こうにも杏子が寝ているために離れられない。
一休は困り果てた。遥の発言により、さっきからポンポン頭に浮かぶのは遥と杏子の濡れ場ばかり。 遥が耳元で囁いて杏子が顔を赤らめる。遥の手がやさしくも淫らに杏子の身体を辿り、杏子の甘くかすれた喘ぎ声が響く―――。
――ちょ、想像しちまうじゃねーかよバカバカ健全な二十代の男子に何言うんだよ責任取れよ っていうかそのイバちゃんと一緒に置いてくとかどんな拷問だよハル兄ィィィィィ!!!!
到底口にはできないので、心の中で毒づいた。顔が赤くなっていくのが自分でも判る。
ひらひら、と後ろを見ずに振られた手と、大人の余裕すら漂う後ろ姿がこの上なく憎たらしかった。
どうしろっての?っていうかハル兄こそ大事なこと知ってる?
・・・イバちゃんって一人じゃ抱えられないくらい・・・重いんだぜ・・・。
途方に暮れつつ、とりあえず静かに、ベンチに横たわる杏子の腰付近の空いたスペースに腰掛ける。
一休の葛藤など何ひとつ知らずに眠る杏子の髪を撫で、真っ赤な頬に触れていると、杏子が小さく唸った。驚きのあまり慌ててパッと手を放すと。

「キュー・・・」

寝言を言って、ふんわりと笑った。


「・・・なにそれ・・・」

可愛いっつの。可愛い―――ああそうだよ、ハル兄。俺はイバちゃんが可愛いよ。俺の名前を幸せそうに呼ぶとか最大級の打撃だ。こんなの反則だろ?
けれど、そこで先ほどの遥の言葉を思い出す。これ以上の、一休さえ知らない杏子を遥は知っている――自分ではない、他の男が。
先ほどの妄想の中の杏子が蘇り、途端にカッと身体が熱くなる。ぷつん、となにかが切れたような気がした。
そっと杏子の頭に手を置き、髪を撫で、頬を撫で。

そして頬にいたずら―――するつもりが、唇を重ねていた。

間違えた。頭の片隅で呟く。けれど、初めて感じる杏子の唇の柔らかさから離れられない。 やばいと危険信号が点滅する、歯止めが効かなくなる――杏子の頭の両脇に腕を置いて近づき、もっと、もっと。 唇を柔らかくついばみ、甘い蜜のように吸い、舌で唇を何度もなぞる、そうしてもっともっと――止められない、止めたくない。 この唇に愛を教えるのは自分、ただひとりだけでいいとキスで叫ぶ。本当は今すぐにでも抱きすくめ、ぐちゃぐちゃに愛してしまいたい。遥の触れた痕など残らないくらいに。

「んっ、・・・ふ・・・っ、」

―――目を覚ます。
バッと身体を起こし離れると、杏子はとろんとした瞳で一休を見つめた。と思うのも束の間、再び瞳を閉じて寝てしまった。 かすかな寝息が聞こえる。
しばらく眺めた後、一休は静かに息を吐いた。ばれなくて良かったと手を胸に当てて、そこで初めて自分の激しく動く心臓に気づいた。
ハッと我に返って自らの唇に手をやり、湯気が出そうなほど真っ赤になる。


「何やってんだろう俺・・・」





遥のあの一言が、すべてのはじまりだった。










(甘い物語の幕開け)






09.05.10.aoi

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風邪某さまからのリクで「ハル兄に嫉妬するキュー/海の家編ネタ/無自覚or自覚あり」でした。
そうです、遥が言っているのはあの夏の朝陽さんの時の出来事です(笑)
お前が飛鳥との思いがけないチャンスに嬉し泣きしてた時、こんなことがあったんだぜ的な。 俺ら仲よくしてたんだぜ的な。肝心な部分を濁してハッパをかけるのは本当に・・・キューを焦らすのは本っ当に、楽しいですね!(笑顔)
きっと遥も生き生きして心底楽しくて堪らなかったと思います。嫉妬させるって素晴らしいですね。
一応無自覚っぽくしてるんですが、最後とか自覚あるような感じになったような気がします。曖昧な感じですみません。 とりあえず嫉妬キスしかも一方的という少女マンガ的シチュ万歳。

風邪某さま、大変お待たせいたしました。リクエストありがとうございました!


良ければオマケ