杏ちゃんって呼んでるんですけど、と隣にいる少女は語り始めた。
中学生にしては、しっかりしていて、話すのもうまい。私は思わず彼女の話に引き寄せられていた。 同時に、彼女に見とれてもいた。 時折揺れる黒髪と、つぶらな瞳が可愛くて、まるで日本人形みたいだ。
こんな女の子がそばにいたら、獅子王はどんな反応をするだろう。
気になった自分に気づいて、慌ててその考えを振り払う。気にしては犀川の思うつぼだ。
そういえばさっき、髪が長くて綺麗と褒めたら、彼女は姉を真似してるのだと言った。 そのお姉さんに私は似ているということだろうか。

――すこしだけ、ドキッとした。
正直に、生きた方がいい?
その言葉は、両親の気持ちを最優先して転校しようとした時のことを思い出させた。
その時、言われたんだっけ、獅子王に。おまえは最後までいい子ちゃんだったな、…って。
あまつさえ、きれいごとばかり言うから、そんな風に自分の気持ちも蔑ろにすることもできるのだと、 獅子王は言っていたのかもしれない。

「百子さん?」
「あ、ああ、うん。ごめんね、続けて」

数秒じっとこちらを見つめたあと、また桃ちゃんは微笑んで、話し始めた。
――要するに、お姉さんこと「杏ちゃん」という人は、五年以上も幼なじみこと「キューちゃん」に片想いをしていたのだという。 その幼なじみは、仲良し六人組の一人の姉が好きだったのだと。

「それでね、杏ちゃんったら、なかなか自分の気持ちを言わなかったんです。キューちゃんが失恋したあとも、ずっと。 一度私が杏ちゃんのことどう思ってるの?って聞いちゃったくらい」

叱られちゃいましたけど、と桃ちゃんは悪戯っぽい表情をした。 それがとってもチャーミングで、クラスにいたら男がほっとかないだろうなあ、なんて思わずにんまりとしてしまった。 「杏ちゃん」が羨ましい。こんなに可愛い妹がいて。
だけど、彼女にしてみれば自らの恋を、たとえ妹にでもつついてほしくないというのが本音なんだろうか。

――けしかけても、別に私は今すぐキューと恋人同士になりたいわけじゃないと怒った。 ゆっくり進んできた恋だから、急に進んでも戸惑うだけだ、と。
そして彼女は、ぷいとすぐに後ろを向いてしまう。でも桃子は察する。耳が赤いから、照れ隠しだと嫌でも解ってしまう。

「杏ちゃんって普段はそんな頑固でもないし、皆の意見をまとめる優しいお姉さんなの。でもねえ、なんでか恋愛に関しては意地っ張り。 キューちゃんが杏ちゃんのこと好き好き言ってるのに、恥ずかしがって嫌がって。自分から素直に愛情表現なんて全然しないみたい」

たまに強烈なビンタが繰り出すものだから…あ、杏ちゃんって怪力なの…キューちゃんも拗ねたりして。
――ね、じれったいでしょ?
私は目を丸くする。ため息をついてそう言う桃ちゃんは、まるで「杏ちゃん」より歳上みたいだ。
ずっと姉の恋の行方を見てきたのだろう。大人っぽい理由はここにあるのかもしれない。

「それは、今もなの?」
「はい、紆余曲折してなんとかくっついた今でも」

キューちゃんとの仲をからかうとすぐに赤くなって、やっぱり怒るんです。もう、別にそんなんじゃないったらって。 付き合いだして上手くいってるのに、素直にキューちゃんが好きって誰にも言えないんです、と口を尖らせる桃ちゃんに私は笑ってしまった。

「可愛いお姉さんなのね。羨ましいわ」
「だから百子さんと似てるんですよ。可愛いツンデレさん、」

にっこりと微笑んだ桃ちゃんに、私は絶句した。

(ツンデレ、って―――)

巷では有名な萌え要素が私に備わっていると言ってるのか。そんな馬鹿な。あいつに対する態度にそんなものはないと思うのに。
桃ちゃんは真面目に心配そうな顔をする。

「余計なお世話なのもわかってます。でも、意地を張ることを、いつだって相手が赦してくれるとは限らないって知ってるから」
「え…」
「一度だけ。キューちゃん、怒ったことあるの」



―――もういい。

『え?』
『…俺だって不安にもなるよ。どんなに好きって言っても…同じように返してくれたことなんて全然ないもんな』
『…っ、キュー、』
『…いったん頭冷やすわ』
『、キュー…!』



「…慣れちゃ、だめなんですよね。自分のその態度を受け止めてくれる優しさに。杏ちゃんは自分が甘えていたことに気付いたんです」
「……」
「いつだって笑ったり拗ねたりしてるからって、傷ついていないとは限らないもの」
「そうね…」
「ふふ、でもそっから早かったんですよー。すぐできるんだったら最初っからそうすればいいのに、ってくらい」
「じゃあ、」

ええ、これ商店街の伝説です、と桃ちゃんはあははと声を上げた。
聞いた私はたちまち羞恥に頬を染め、絶句する。
恥ずかしい。聞かなきゃ良かったと思う。それを人は青春と呼ぶのだろうが、目に耳にした人には大変な衝撃である。
はあ、商店街の真ん中で、ねえ…。だが、それをやったのは六人組の中にも、もう一組いるらしい。なんだ、この六人組。 一生懸命な証拠なんだろうけれど…やっぱり恥ずかしい。
だけど「杏ちゃん」は常識人だというから、彼女はプライドも羞恥心もかなぐり捨てたのだろう。それほど「キューちゃん」が、好きで。
涙を流して全身全霊で愛を訴える彼女を目にして心臓を射抜かれない男などいないはずだ。 そしてどうやらこの「キューちゃん」という男、人前でも平気でいちゃつける性分らしい。 以前の好きな人にも遠慮なく抱きついてたというし…いやいやでもそれ以上はないだろう、普通。
私は熱くなった頬を冷ますようにため息をつくと、桃ちゃんはキラキラと目を輝かせた。

「だから!百子さんも獅子王さんに好きって言えばいいじゃないですか!!」
「ぶほっっっっ!!!」
「きゃっなんで吐くんですかー!!?大丈夫ですか…!」
「げほげほっ。大丈夫…。あのね、桃ちゃん…そんな関係になんてなりえないのよ、私たちは」
「どうしてですか?」
「だって…獅子王は私のことただのうるさい女だと思っているし、仲間だと言ってくれてはいるけれど…そんな大切に思われる存在じゃないわ。 恋愛対象になんかならないの」
「…断言できるんですか?聞いたわけでもないのに」
「…鋭いとこつくわね、桃ちゃん…。…それに、私が獅子王のことすごくすごく好きだと思ってるわけじゃないもの」

桃ちゃんが黙ってしまって、ちょっと申し訳ないことを言ったかと再び口を開こうとしたその時、元凶はやってきた。
私たちのベンチの前にドーンと立ちはだかり、ふんぞり返る。 その様子は傍目から見たら、か弱い少女二人をいじめようとする柄の悪いヤンキーだ。ほら、周りが少し心配そうな顔をし始めた。

「おい百子、なにサボってやがる」
「獅子王…」
「あ、この方が獅子王さんなんですか?」

あ?と桃ちゃんの方を向く獅子王に、彼女は物怖じせず自己紹介をする。輝かんばかりの笑顔はもはや彼女の得意技といっても良さそうだった。 そのまばゆいピュアオーラに、あの獅子王も多少怯んでいる。お、おう…と返すのが精一杯なようだ。
ええ…す、すごい。獅子王に怯まない上にたじたじとさせる女の子なんて、初めて見た。
が、感心したのも束の間、彼女はいま獅子王さんのことを話してたんですよ、なんて言い出すものだから慌てて彼女の口を塞いだ。

「な、なにを言いだすの、桃ちゃんー!?」
「え…本当のことですよ?」
「いやいやだからってね?」
「おいどーでもいいが仕事しろ、バカモモ」
「…なあんですって!?いつもサボりまくりなバカ王に言われたくないわよ!!」
「ああ!?やんのかてめえこら」
「何度でもやってやるわよ、その横柄な態度を改めない限りね!!」
「俺様にケチつけんじゃねえぞ、犯すぞてめえ!!」
「この神聖な文化祭でそんなこと言わないでよねバカバカさいっていセクハラ大魔王!!!」
「その減らず口、塞いで窒息死させてやろーか、ああ!!?」
「え…、ちょ…百子さん…!?」

素直になったらどうですか、って話したばかりなのに。
そう力なく呟く桃ちゃんの声はもう私の耳には入っていない。
彼女を置いて、いつもと同じ喧嘩が始まった。周りがなんだなんだと注目するが、気にしちゃいられない。
そう、ツンデレとかもう気にしちゃいられない!私はこいつを打ち負かしたい、ただそれだけのはずなんだから!!!



ああ、でも少しだけ本当に羨ましく思う、同士の「杏ちゃん」。
正直になって得たものに、きっとあなたは幸せな顔をしてるんでしょうね。
だって、二人がくっついたと話す桃ちゃんは本当に幸せな顔をしていたもの。






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