泉水子は珍しく怒っていた。
とにかく腹が立ってしょうがなくて、 このイライラを何にぶつければいいのかも解らず、迫力のある歩みでずんずんと前を行く。
それを後ろから遠慮がちに追いかけるのは、泉水子の珍しい様子に困惑した深行だった。


事の発端は、深行の中学の元クラスメートに出逢った、三十分前に遡る。








「――ねえ、あなた、相楽くんの彼女なの?」

その率直で刃のように鋭く突き刺さる言葉に、泉水子は思わず後ずさった。
高く、きつさを含むソプラノ。その声には、自分を値踏みする響きがはっきりと出ていた。
自分よりも細くて綺麗な顔をした女の子たちが、こぞって自分を見つめてくるという得体の知れない恐怖に身を縮こまらせる ばかりで、小さな声で否定するしかできない。

(早くお母さんのところに行かなきゃいけないのに……相楽くんは、)

周りを見回して、泉水子は深行を見るが、あいにく彼は囲まれて、あれやこれやと質問攻めに遭っていた。
そして、少しもこちらに気を向ける様子がないとわかって、泉水子は落胆する。 おそらく彼は、泉水子がこんな詰問を受けているとは思っていないに違いない。
困った。生まれてこのかた、こんな修羅場には遭遇したことがない。うまい交わし方を知らないのは当たり前だった。

「でも相楽が女の子連れて歩くなんて珍しい」
「え、」
「ほんと。ていうか、相楽くんならもっと相手を選べるのに」
「やだ、マユミったら失礼だよ」
「えーだって、ねえ」
「―――……」

くす、くす。
上から下へとじろりと品定めするような視線と不躾な言葉に、泉水子の身体中が熱くなった。
…真響のような真っ直ぐな明るさに慣れすぎていた。さばさばしていて、気持ちを読むことに長けている、優しい真響。
――だから、相手を引きずり込もうとするような暗い感情に戸惑う。
泉水子は唇を噛み締めた。震えている手足が情けなくて、涙が出そうだった。
目線をそらすようにして違うところへ向けたその時、泉水子は、一言も発していない女の子に気がついた。
彼女は、さきほど零した泉水子の否定に対して、明らかに安心した笑みをもらしていた。 確か、ふわふわと栗色の髪を揺らす彼女の穏やかな丸みを描く瞳は、ほんの一瞬前まで思い詰めて泉水子を見ていたはずだった。

(…もしかして)

深行が色恋にはまるで感心がないようだというのは見ていて知っていた。それでも、やっぱり女の子は彼をほっとかないのだ。
そして、他人の目には自分が隣にいることが奇妙に映る。その事実がやけに心に響いて、痛い。
…再び、ちらりと横に目をやった。

「っ!?」

すると彼の真向かいには、いつのまにか先ほどの栗色の女の子がいて、思わず目を疑う。
安心したとたん、深行にアプローチしに向かう、その抜け目のなさを目の当たりにして唖然とした。
――嘘でしょう。つい一瞬前までここにいたはずなのに。
恋する女のアンテナの鋭さは侮れないのだと、身をもって経験したような気がする。 もっともこんなことを勉強したくはないとがっくり肩を落とした。
泉水子がそうしている間にも、栗色の乙女は深行を熱く見つめ、可愛らしい声で問いかける。

「ねえ、相楽くん…」

――その声を聞いた瞬間、ぞわりと鳥肌がたって、泉水子の心は決まった。






*********





懐かしい同級生に囲まれて、深行は驚くばかりだった。
あとから思えば、それが同行する相手に目をかけてやれなかったという失敗につながるのだけれど。
泉水子の中学校に転校する前にいた学校の友人とは、わりと気心が知れていた。 とはいえ、どこでも深行は優等生の仮面をかぶり、決していい顔しかしない。
やんちゃな面を見せることはあるけれど、ただそれだけだった。
しばらく話していたところ、ふいに話題が変わった。友人がにんまりと笑って、こそっと話しかけてくる。

「なあ相楽、連れの女の子、もしかして…彼女!?」
「違う。友達」
「あ、そう。相変わらずあっさりしている…」
「硬派だな、お前…。じゃあさーあの子紹介してよ」
「…は?」
「そうそう、紹介しろよ。あの子可愛いじゃん」
「は!!?」

思わずすっとんきょうな声が出てしまった。
「なに驚いてるんだよ」と不思議そうに聞かれて、「いや別に…」と何事もなかったのように返すが、ますます面食らう。
――可愛い?あいつが?
そして即座に思ったのは、やめとけ、ということだった。
そんなことをして恋人にでもなってみれば、たちまち姫神戦争に巻き込まれるに違いない。 現に、ただのパートナーである深行でさえ、十分ゴタゴタの中心人物となっているのだから。
だが、深行は言わなかった。
秘密ともいうべき事実だったし、『俺が守ってやる』と言い切られても面倒だ。 それに、言わなくてもいいことをわざわざ忠告してやるほど深行は優しくないのだ。
『特に泉水子に手を出そうとしているヤツには』という特筆すべき事項が心の底にあることなど、 深行は全く自覚していなかったけれど。

「悪いけど断る。俺はあいつの親父さんからよろしく頼まれてるんだよ。下手に男を紹介できるか。特におまえらなんてな」
「えええー?真面目すぎ」
「なんだよ、ひでえなあ」
「なんとでも言うんだな。大人の信頼を失うよりはいい」
「まあ、確かに」

苦笑いする友人に、深行は肩をすくめた。
また、お互いの今の学校の話に戻り、話に花が咲く――どことなく、もやもやしたものを心に抱えながら。
そして、泉水子がそばにいないと気付いたのは、それから数分後だった。






*********





「おい鈴原!」
「……」
「――鈴原!!」

ガッと強く腕を掴まれて、やっと立ち止まる。
泉水子がいないと気づいて追いかけてきたらしい、振り返れば息を切らした深行がいた。 その様子に少し申し訳なく思――おうとして、やめた。
そのくらい、泉水子の機嫌は急降下していた。これまでにない程に。

「おまえ何勝手に離れてるんだよ。あいつらも感じ悪いって言ってたぞ」
「!」

泉水子は、くしゃっと顔を歪めた。
一番言われたくないことを言われた怒りの火が、静かに心に灯る。

(あんな無神経な女の子のこと、簡単に信じるんだ…)

複数の無遠慮な視線は、深行の隣には栗色の少女じゃなきゃ似合わない、と訴えていたのが、泉水子でもわかった。 初めて受ける悔しさと屈辱に、もう耐えられなかった。
ただ、なぜ悔しいのかもよくわからなかったけれど。
それでも泉水子は黙るしかない。だって、言ってどうなる? 深行にしてみれば自分の友達を悪く言われるのだ。泉水子が自分を正当化していると呆れるかもしれない。
泉水子は唇を噛み締め、平静を努めてそっぽを向いた。

「あの子と喋ってたんでしょう?」
「え?」
「茶髪のパーマの子」
「ああ…まあ喋っていたが…どうかしたか?」
「良いの?せっかく、可愛い子が慕ってくれてるのに置いてきて。相楽くん、って甘い声出してたよ」

それを聞いた深行はポカンとしていた。何を言っているんだ?とでもいうように。
その反応が面倒臭く感じられて、泉水子はつい苛々とした声を出す。

「私に構わずお友達と話してきていいよ。久しぶりなんでしょう。お母さんに会うのは私ひとりで十分だもの」
「馬鹿言うなよ、携帯ないんだから無理だろ。紫子さんとすれ違ったらどうするんだ」
「その時はその時でしょう。大体、あちらは忙しいんだから、会えなかったからといってどうにかなる話じゃないと思う」
「そうだけど。とにかく困るだろ、俺だって紫子さんに会うの楽しみにしてたし」

一瞬の沈黙。





――――今度こそ、泉水子はキレた。







「…深行くん」
「、な…なんだ?」
「今から私がいいって言うまで半径3メートル以内に入らないで」
「…は!?何言ってんだよ鈴原――、っ」
「何でもよ。わかったでしょう?」

手を強く振り払い、普段は出ることのない低い声が深行を凍りつかす。
深行は睨んできた泉水子に気圧されて、どうやら彼女が本気で怒っているらしいと、ようやく気が付いた。 だが、その理由が全く解らない。
一方、泉水子は腸が煮えくり返るという状態を身を持って体感していた。

(ああもう今度はお母さんだなんて、馬鹿なのは深行くんじゃない!!)

もう一生他の誰かといちゃいちゃしていればいいと心底思う。
腹の底でぐつぐつと怒りが沸騰し、その熱さといったらイベリコ豚だって丸々焼けるかもしれないと真剣に思った。 まるまるっと一匹だって可能だ。いや、マンモスだって今ならいけるかも。
いつの間にかにじみ出ていたはずの涙はひっこみ、わきあがる怒りのパワーが泉水子を強く動かしていた。
泉水子は、きつく前を見つめて歩き出した。






********






その泉水子の歩く速さに、深行は驚いた。 いつもなら大股で歩く深行に走って追いつこうとするほどなのに、その様子は微塵も見られない。
完全に頭にきている様子の泉水子は初めて見るから、どう対処すればいいのか戸惑う。

(なんだよ…いつもと随分違うじゃないか)

とりあえずは目的を果たすことを考えて泉水子の後を追った――勿論泉水子の言う距離を守って。

(…ちょっと待て。はたから見たら、おれ…ストーカーぽくないか?)

一抹の不安を覚えた深行は一瞬、やはり泉水子の言うことなど気にせず強引にいこうかと思う。
けれど、すぐにその気はなくなる。下手にいってこの状態をますますこじらせたら、完璧に打つ手はなくなるからだ。
帰り道にどうにか宥めすかすか何かしよう、と結論に至った。
…しかしそのことを考えると頭が痛い。
何しろ自分の粗相で泉水子をどうにかしたとなると、うるさい目が三つ…いや、四つはあるのだ。人+神霊となると、もはや命が危うい。
そう考えると、負ける試合はしない主義の深行は、上記のような結論に至るわけだが――これが俗に言うヘタレである―― ここが玉倉山なら、さぞかし野々村に睨まれているに違いないと思った。彼は表に出さずとも泉水子を目にかけているのだから。
深行は、このよくわからない状況と何の手の打ちようもないやるせなさに、海よりも深い深いため息をついた。
泉水子は相変わらず憤然とした歩みで、こちらを振り返ることもしない。
ちらっと一瞬だけ目が合ったけれども… まるで軽蔑するような瞳をばっちり見てしまった深行は、泉水子の普段とのあまりのギャップに、背筋が寒くなったのだった。

(…これから甘く見ない方がいいな…)



泉水子の穏やかな笑顔を恋しく思うなんて、どうかしている。
けれど、頭はすでに必死に解決策を見つけようとめまぐるしく回転しだしていた。


――さて、どうやってこいつのご機嫌をとろうか?


学年二位の優等生も、女の子の扱いには頭を悩ますのだった。














ありふれた自信の中の愚かな一部分



(…俺、こんなに情けない男だったっけ…)







t. is,

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おまけ

以前からPCに眠っていた作品。
前から泉水子ちゃんがキレる話を書いてみたかったのです。
あんまりラブくない上にテンポ悪い…。


2011.03.20.aoi