「・・・・・・」

帰りたい。
太陽は遠慮という言葉を知らないのか、ジリジリと容赦なくアスファルトを焼きつける。 その暑さに、忍耐力のある私もさすがに音を上げた。
今日は夜まで父は帰ってこないし、奇遇なことに桃子と月、星の外へのお泊りが重なった。 久々にひとり自由な時間がたっぷりあるわけで、 じゃあ配達の後に少し一番星に寄っていこう、誰かが来ているかもしれないし ・・・などと思って外に出たのが間違いのように思えてきた。

ポト、ポト、と汗が落ちていく。汗をぬぐうのももはや面倒になっていた。
強い日射しに目を細め、ふうと息を吐く。この燃えるような暑さに、いまさらではあるけれど夏なのだと実感する。 海の家に行ってお祭りでも騒いだ、あの夏からもう一年たった。
ついこの間お花見をやったような気がしているのに、季節はあっという間に人をさらっていくものらしい。 この年にして時の流れを早く感じるのなら、この先、十年後にはどう感じるのだろう。 十年二十年と瞬く間に去って、・・・ああそうだ、そうして私はいつか母の永遠に変わることのない歳を追い越してゆく。
この夏が過ぎれば母がいなくなった季節がやってくるからだろうか、それともお盆の季節だからだろうか。夏には到底不似合いな、じめじめした思考が飛び出てきた。 いや、この暑さのせいで頭が朦朧としてきているからかもしれない。


「・・早く一番星に行って冷たいものもらわなきゃ」


扉を開けたら誰がいるだろう。どんな話をしているんだろう。
アイスを食べながら夏休みの予定を決めようとはしゃぐ幼なじみの様子がいとも簡単に想像できて、ふふっと笑ってしまった。
その時突然ポンと肩を叩かれ、ビクッと肩も心臓も嫌な感じに飛び跳ねた。 思いだし笑いを見られたかもしれないという恥ずかしさで、できれば振り返りたくなかったけれど。


「・・・え、ハル、兄?」


なんとも意外な人物にまばたきすると、ランニングシャツにジーパンという涼しげな格好の青年は、歯を見せて快活に笑う。 やけにさわやかな風が吹いた気がして、また目をパチパチとさせる。なんだ今の。錯覚?


「なにイバちゃん、誰だと思ったの?」
「いや、ちょっとビックリしただけ・・」
「そう?しかしあっちいねえ。・・・ん?イバちゃん顔が真っ赤だけど大丈夫か?早く冷やした方がいいかもな」
「んー・・さっきからちょっとくらくらしてる、かも。でも、」
「ストップ。だいじょーぶとか言わないの。ほらこっちおいで」
「え?ハル兄、どこいくの?」
「うちんち。魚屋にはいつでも冷たい氷がたらふくあるからな」


なるほど、と妙に納得した。
そんな私に自慢げにニカッと笑うハル兄に、幼なじみのよく似た表情が重なって見えた。









「・・・んっ・・・」
「・・・どう?イバちゃん、気持ちイイ・・・?」


「――――――っハル兄、無駄にフェロモン出して耳元でそういうセリフを言わない・・・!」
「あはは、ごめんごめん」
「・・ハル兄ってほんとそういうからかい方が好きだよね・・・・」
「いやあついつい、ね。ほらうちにとってもリアクションがいいやつがいるから癖になっちゃってさ」
「ああ、クロね・・」


冷やしたタオルの冷たさにちょっと目を閉じてたら、ハル兄に耳元で囁かれて不覚にも赤くなってしまった。 まったく、これだから隙を見せられない。顔を合わせるたびにからかわれるクロを少しばかり哀れに思った。

一階には客が来ているらしく、二階のハル兄とクロの部屋に通された。
部屋の窓を全開にして扇風機もつけ、むんとこもった空気を追い出す。
窓際の床に腰を下ろしてタオルを顔に当てていると、激しかった動悸も頬のほてりもだんだん治まっていくのを感じた。 ハル兄はいったん下に降りて、まもなく二人分のジュースを手に戻ってきた。 隣に腰を下ろして私をのぞきこむ。


「うん、だいぶ良くなってきたな。これからは無茶するなよ?」
「ありがとう、ハル兄」
「どーいたしまして。もしかして一番星に行こうとしてた?」
「うん。ハル兄は?どこか出かけるならすぐに出る――」
「ああいいっていいって、今日は特に予定は入ってねーから。安心してゆっくり休んでイキナサイ」
「・・・・うん、ありがとう」


根っからの長女気質の私はこんな風に妹のような立場になることはめったになくて、だから少し気恥ずかしくてはにかむようにお礼を言った。 するとハル兄は、んーイバちゃんは素直で可愛い可愛い、と満面の笑顔で私の髪やほっぺたをわしゃわしゃと撫でる。 わ、ハル兄!?と慌てても、いっこうにかまう様子はなく手を動かし続ける。
うちの藍ちゃんもイバちゃんみたいならもっと可愛いのにねえ、と笑いながら私をいじってくるその両手が、とてつもなく暖かくて、ああお兄ちゃんなんだなあ、なんて。 こんな風に可愛がってくれることが嬉しかった。ふんわりととろけて、甘えたくなる。
ハル兄がなにかを思い出したのか、急に手を止めた。


「ああ、そーいや知ってるか?こないだキューが俺に英文の宿題が判んないって聞いてきたぜ」
「・・・・まさか」


LOVEを使った英文?
ハル兄のニヤニヤというような笑みに嫌な予感がしておそるおそる聞いてみれば、答えはYESだった。くら、とする。キューは何をやっているんだか。
数週間前、英語を教えてほしいというから了解したものの、それだけはさっぱりどうしようもなかった。 だからそれくらいは自分で考えろと、突き放したのだった。


「教えてあげたの?」
「いや、参考文献を教えた。宿題なのに答えを教えちゃあ、まずいだろ」
「てことは教えようと思えば教えられたんだ・・さすがハル兄」
「お褒めの言葉どーも。そんであいつぼやいてたぜ、イバちゃんが教えてくれなかったって」
「・・・・・」


答えに詰まったその時、窓の下から聞き覚えのある声がして、窓から顔を乗り出して目を下にやった。


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